「結婚の後先。」 エペソ5章21~33節
人は元々罪深く、誘惑にも負ける愚かな存在です。最初の女性エバは「相応しい助け手」(2・20)であり、アダムにとって「これこそ、ついに私の骨からの骨。私の肉からの肉」(23)と喜んだのです。助け手とは、神が人間に命じた「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う全ての生き物を支配せよ。」(1・28)という働きの助け手です。ですから、子を産むことと、働いて地を支配することが人の使命です。
エバは、「その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。」(創世記3・6)。食べてはならないと神に戒められていた木から食べたアダムは、神の質問に対して、「私の傍にいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」(3・12)と責任転嫁し、女は「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」(13)と言い訳をします。
神に従わなかった罰として、女には「あなたの苦しみと呻きを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」(16)となります。男は「あなたは一生の間、苦しんでそこから(呪われた大地から)食を得ることになる。」(17)となります。
つまり、夫婦関係の崩壊と、苦渋の労働は、罪の結果なのです。だから、夫婦が仲良く過ごして子を育て、働きが祝福されるには、聖書的に生きるしかないのです。
ところが、信仰者でさえ、それらを人間的努力のものとしているのです。そして、伴侶を性格や能力、地位や富によって選ぼうとしているのです。それが満たされなくなると、男女の夫婦関係は崩壊し、LGBTQのような状態になって来るのです。それは現代に始まったことではなく、昔から罪人が行って来たことです。現代社会は、それらを認めることが必要だとして、末期的な思考に陥っています。まさに終末です。夫婦や家族だけでなく、人が人を愛せなくなった結果としてペットブームが起こっている気がします。
結婚したら愛し合えると考えるのは誤解です。性が人を結びつけるというほど人間は動物的ではありません。動物的になったら、愛し合えるはずがありません。イサクとリベカの出会い(創世記24・62-67))は、麗しく情緒的なものでした。40歳です。「イサクは、自分の妻のために主に祈った。彼女が不妊の女だったからである。主は彼の祈りを聞き入れ、妻リベカは身ごもった。」(25・21)。「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主は彼を祝福された。こうして、この人は富み、ますます栄えて裕福になった。」(26・12.13)。子を産み、成果を得るという旧約時代の繁栄の姿です。
しかし、ゲラルの地でリベカを妹と偽って自分の身を守ろうとする自分勝手さ(26・7-11)は、軽薄なものです。時代的には、神を信じる者が殆どいない族長時代なので、神はこのアブラハムの系図の人を守ったということはあるでしょう。「王アビメレクが窓から見下ろしていると、イサクがその妻を愛撫しているのが見えた。」(26・8)というので、現代に繋がる欧米人夫婦の性的熱情が見られます。しかし、ヤコブとエサウへの指導や世継など、夫婦で十分話し合われず、家長のワンマンぶりが、その後の家族の不幸へと繋がります。
イエス様が、夫婦は一体であり、不倫以外の理由で離婚してはならないと話された時、弟子たちは、「もし夫と妻の関係がそのようなものなら、結婚しない方がましです。」(マタイ19・10)と言いました。弟子となって訓練を受けた人々にも、男尊女卑は浸透していたのです。
パウロが、「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」(エペソ5・25)「自分の妻を自分と同じように愛しなさい。」(33)と奥義としたことは、歴史上前例のない宣言であり、その後の男性達には脅威の戒めとなりました。それが祝福された人生を送るための条件になったのです。
男女共に、神から結婚欲求を与えられています。「結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、・・・結婚した女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。」(Ⅰコリント7・33.34)。それは、「品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようにする為です。」(35)。パウロは独身ですが、夫婦が仲良く過ごす為には、相手に喜ばれることに心を配ることが必要なことを教えています。
しかし、「妻は、夫が生きている間は夫に縛られてい」(39)るので、夫が死んだら、自分を喜ばす人と「結婚する自由があります。」(39)。ただ、そんな人はあまりいないので、再婚はしないほうが、「もっと幸いです。」(40)とあります。結婚生活は、奥義に従う以外にはないのです。
エペソ5章21~33節
- 5:21 キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。
- 5:22 妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。
- 5:23 キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。
- 5:24 教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。
- 5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。
- 5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
- 5:27 ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
- 5:28 同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。
- 5:29 いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。
- 5:30 私たちはキリストのからだの部分だからです。
- 5:31 「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」
- 5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。
- 5:33 それはそれとして、あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。 妻もまた、自分の夫を敬いなさい。
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