「神の家族なのです。」 エペソ書2章11~19節

「家族」と言っても、その国、民族、地方、また生まれ育った家族によって、その概念と内容が異なっています。結婚してみて、夫婦の互いの家族観や状況の違いに気が付くことも多いようです。

食事も、趣味も、時間も一緒に過ごす家族もあれば、別々に過ごす家族もあります。家族とはこういうものだと考えて育ってきて、別の家族観の人と付き合い、批判的にならずに受け容れられたら、その人間関係はうまくいきます。

「神の家族」として、互いの習慣や考え方の違いに配慮せず、自らの思い込みによって対応したり、要求したりすると、思わぬ行き違いや誤解、さらに対立にまで及ぶことがあります。人間関係がうまくいかない人は、自分の要求や期待、考え方を周囲の人にそのまま伝えてしまう傾向があります。この教会は国際的な教会形成を心掛けているので、そのような点をみんなでわきまえて教会を神の家族として形成していくことが必要です。

さて、私がお会いした国際人として活躍している人たちの特徴は、落ち着いており、マナーを身に付け、個人のことに立ち入らないで会話ができることでした。外国に行くと、自分を売り込み、コンタクトを求め、せわしく自分中心に話しかけてくる人もおりますが、私はそういう人は相手にしません。日本人は、日本語で話しかけられると、直ぐに親しくなり、個人情報を教えてしまう人が多いように思われます。そして、詐欺にあったり、騙されたりすることもあります。そういう面で誰とでも親しくなろうとすると間違いを犯し、被害を受け、失望することになります。

説教で会話をしましょう、と勧めた後、祈っていて、コミュニケーションの苦手な人、慣れていない人は、失望するばかりであることに気が付きました。親しいと思っても、親密な関係になってはいないこともあります。まずは、同性、同年代の人と少しずつ親しくすることです。個人情報を簡単に語らず、相手にも求めない方が良いです。

「思い出してください。あなたがたはかつて、肉においては異邦人でした。」(11)。未信者と信仰者の間には深い違いがあります。その違いに気が付いていないのでしたら、あなたはまだ自らを主に委ね、聖められていないのです。多くの人が、未信者の在り方をそのまま変えようとしていません。自分の罪深さを気が付き悔い改めたのに関わらず、その性格やあり方を変えようとしないで、個性であると是認しているのです。

「隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。」(14.15)。これは「キリストの血によって」(13)であって、私たちの努力や性格によるものではありません。救われた者としての謙遜な思いで、キリストの犠牲によって敵意が打ち破られたことを思い見なければなりません。

 肉にある家族についても、夫婦、親子、兄弟、それぞれお互いに尊重しあわないと、問題が起こります。それは「隔ての壁である敵意」をキリストにある愛に変えないで自分勝手な要求をするからです。

 争いのない仲の良い家族は、この境界線を守り、互いの人格を尊重しているからです。それは、子供に対しても同様であり、決して子供に自分と同じ考えを持つように求めてはいけません。

 家庭の中に「あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。」(3・17)ということは、私たちの「信仰によって」(同)なのです。日常生活にキリストが共におられるでしょうか。「救いの道を良き住まいや書斎の中になぜ探すか。工場に野良に船の中に救いの道は見出される。主に頼りつつ鎌を手にし、祈り心に櫂操ろう。昔主イエスが汗流して働いたのを覚えながら。」(聖歌320)

 神を自分の都合で求めたり、家族や友人に自分の願いを要求するようでは、神の家族の一員としては子供です。家族の中には、赤ちゃんや幼児のように手の掛かる時期もあります。いつまでたっても、わんぱくやおてんばで勝手なことをする子もいるでしょう。ぐれる子もいるかもしれません。

 私は、5人の子供を保育園に送り迎え13年間でした。土曜には布団を持ち帰り、月曜に乾燥させて届けるのが3人分でした。妻も家計を支えるので、出産後2週間くらいで働きました。子供たちと手をつなぎ、歌を歌いながら歩く時、大学院を出て、牧師をしているのに、こんなことがいるまで続くのかと涙が出ることがありました。それでも、子供の前で「大変だ。嫌になる。」などの言葉は決して言わないようにしました。今は、労が報われている気がします。

 教会も神の家族として成長するために、兄さん、姉さんは弟や妹のために助ける喜びを味わってください。神の祝福は、そんなところに注がれます。

エペソ書2章11~19節

  • 2:11 ですから、思い出してください。あなたがたはかつて、肉においては異邦人でした。人の手で肉に施された、いわゆる「割礼」を持つ人々からは、無割礼の者と呼ばれ、
  • 2:12 そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。
  • 2:13 しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。
  • 2:14 実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、
  • 2:15 様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、
  • 2:16 二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。
  • 2:17 また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。
  • 2:18 このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。
  • 2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。

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MYoshi
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