今週のメッセージ 「蛇が悪巧みによって欺く。」 Ⅱコリント書11章3~15節

 先週は、「蛇のように賢く」(マタイ10・16)と、慎重に歩み、見栄や欲によって身を滅ぼさないようにすることをお話ししました。AIの導入によって焦る人もいるでしょうが、知恵ある人は知恵によって滅び、神を信じる人は、その信仰に一途な愚かさによって神の知恵をいただき、祝福を得るのです。

 さて、同じ蛇がサタンの象徴として、私たちを惑わします。創世記でエバを欺いたのは、「食べるのに良さそうで、目に慕わしく、賢くしてくれそう」(創世記3・6)な木の実でした。つまり、「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」(Ⅰヨハネ2・16)です。これらは、「世から出るものだからです。世と世の欲とは過ぎ去ります。」(同)。「この世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。」(エペソ2・1)

 世の中は、金持ち、優秀、などの目標から、健康、幸せ、趣味などに代り、青年たちはそういうものよりも、楽しく過ごす、などといった簡単なものに代ってきました。むろん、一部は努力を惜しまず成功しようとする人もおりますが、そのような価値観で生きる親の世代とは相容れないものになって来つつあります。大谷選手は、親の世代の理想的な息子ですが、多くの若者には、遠すぎる目標になっています。

 アメリカ社会は、競争が厳しく勝ち残ることは難しいのですが、今だにアメリカンドリームは存在し、出自や階級に関わらず、個人の勤勉と努力次第で誰でも成功(経済的豊かさや幸福な生活)を実現できるという理想を持つ人々で活性化しています。そこから脱落した人々の敗北感も大きいのですが、多くの人は、違いを許容しているようです。

 日本では、国家力の衰退と共に、努力して成功、という思いが消えつつあります。平凡な人生で十分、家族と仲良く過ごしていきたい、という若者が増えています。高齢者は、ともかく健康で長生きをし、拘束されずに余命を全うしたいとだけ考えているように見受けられます。

 1980年にロバート・シュラー牧師のクリスタル・カセイドラルが建てられました。全面ガラス張りの巨大な教会堂です。当時は、教会にも「可能性思考」の教えが広まって多くの影響を与えました。これは、「「神の助けがあれば何事も可能である」というもので、韓国のチョー・ヨンギ師によって世界的に広まり、日本にも「一千万人救霊運動」を展開して多くの影響を与えました。

 シュラー牧師の教会は財政が破綻して、カトリックに会堂を売却し、家族も争い、シュラー夫妻は教会に賠償金を求める訴訟を起こしたけれど敗訴しました。チョー牧師も、高齢になって汚職が発覚して懲役2年の有罪が確定しました。他にも多くの問題が現れましたが、未だに日本でも多くの追随者がおります。

 私は、どちらの教会にも出席し、当時、それぞれの牧師に感銘を受けていました。しかし、どちらへも次第に違和感を覚えてきました。成功し、金持ちになり、多くの追従者が現れ、立ち止まることも、自制することもできなくなったようです。

 人を称賛する傾向の人は、人に躓くことも多いようです。私は、「人は罪人」と考えているので、人に期待することを抑え、いつでも誘惑に負けて堕落するものだと考えています。

 人は、「肉の欲」つまり、性欲や食欲、物欲によってサタンに惑わされます。また、「目の欲」つまり、テレビや映画、ゲーム、エロティシズム、美しいものに囚われないようにすることが大事です。「暮らし向きの自慢」つまり、裕福になることや成功することに心を奪われないことが必要です。

 私が教団教区、外部の働きを辞めたのは、人々が私の言動を気にするようになったからです。歳を取って高慢になるのは危険です。会堂建設に財産を献げることを決めたのは、子どもに残す危険と、富を誇り目を留める危うさを感じたからです。ガーデニングに時間を費やしているのは、人の働きとその成否に心を奪われないためです。基本的には、思う通りにならないことを受け入れ、委ねることが高齢の信仰者には必須なことを考えています。

 義姉の死が心に残ります。検査でタンパク質が足りないと指摘しても、食べてると言い、毎日2時間も歩いていました。健康であることを願い、運動をし過ぎて身体を消耗させてしまったのです。健全な考え方も、過度になると身を滅ぼします。高齢になると意識せずに頑固になります。サタンの悪だくみは、容易に人を欺きます。思い通り、願い通りに生きようとして、非常識になってしまうと道を誤ります。「あなたの信じるとおりになる。」と思ったら、傲慢になるだけです。神をあなたのしもべにしてはいけません。そういうことを教える教会が今でもあります。気をつけてください。

Ⅱコリント書11章3~15節

  • 11:3 蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔から離れてしまうのではないかと、私は心配しています。
  • 11:4 実際、だれかが来て、私たちが宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいは、あなたがたが受けたことのない異なる霊や、受け入れたことのない異なる福音を受けたりしても、あなたがたはよく我慢しています。
  • 11:9 あなたがたのところにいて困窮していたときも、私はだれにも負担をかけませんでした。マケドニアから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれたからです。私は、何であれ、あなたがたの重荷にならないようにしましたし、今後もそうするつもりです。
  • 11:10 私のうちにある、キリストの真実にかけて言います。アカイア地方で私のこの誇りが封じられることはありません。
  • 11:11 なぜでしょう。私があなたがたを愛していないからでしょうか。神はご存じです。
  • 11:12 私は、今していることを今後も続けるつもりです。それは、ある人たちが自分たちで誇りとしていることについて、私たちと同じだと認められる機会を求めているのを断ち切るためです。
  • 11:13 こういう者たちは偽使徒、人を欺く働き人であり、キリストの使徒に変装しているのです。
  • 11:14 しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の御使いに変装します。
  • 11:15 ですから、サタンのしもべどもが義のしもべに変装したとしても、大したことではありません。彼らの最後は、その行いにふさわしいものとなるでしょう。

投稿者プロフィール

MYoshi
MYoshi