「今は恵みの時、救いの日です。」Ⅱコリント書6章1~10節

2節はイザヤ49・8の引用で、イスラエル人がバビロン捕囚から解放されるという預言です。イスラエルの人々への迫害は酷いものですが、それを前もって預言し、「国を復興して、荒れ果てたゆずりの地を受け継がせる。」(イザヤ49・8後半)というのですから、まさに恵みであり、救いです。ウクライナの人々の現在の困窮さや命の危険も、平和な私たちには想像もつかないものですが、そこから救われたら、どんなに嬉しいものでしょう。

パウロは、自分たちの伝える福音が、そのバビロンからの解放のようなものであり、「無駄に受けないようにしてください。」(1)と教えます。しかも、その救いは神の国への繋がる永遠のものです。

3月11日は東北大震災から11年目でした。あの時の巨大な大津波の映像は忘れえないものです。その日の記念祈祷会では、東北3県で続けられている被災者への伝道活動が放映されました。私は放射能汚染の空気浄化装置をイスラエルから輸入しようとしたり、汚染物のガラス固化の特許をイスラエルから得て紹介したりしましたが、ことごとく国にはねられ苦しんだものでした。私には、人や土地の苦しみを放置して年月の経過に委ねようとする国への不信の念が強く残りました。それは、今回のコロナでも同様です。警告したように、血液疾患や脳・心臓疾患で死ぬ人が急増しています。裏の報道では、「厚労省が公開しているリアルワールドデータによって重症化抑制も否定された。さらに今回、COVID-19に対し脆弱性が高い高齢者に対し国を挙げて推進したワクチン接種は、予想に反してCOVID-19による死亡率を低下させず逆に上昇させた。感染抑制は絵空事、重症化抑制の夢は破れ、死亡率は低下どころか逆に上昇。感染・発症~経過~予後・死亡率まで、全ての段階で惨敗を喫した新コロワクチン。」とされていますが、表には出ません。

今後、物価の急上昇や年金の引下げ、そして不景気が予想されています。アッシリヤやバビロンが攻めて来た時、千キロを超える捕囚の旅も辛かったでしょうが、高齢者や弱者は捨て置かれて死んでいきました。つまり、いつの時代も、どこの国においても弱者の悩みと苦しみは大きいのですが、殆どの人、特に日本人は、それを受け入れ、しょうがないと諦めています。

イエス様が「貧しい人に良い知らせを伝えるため、・・虐げられている人を自由にし」(ルカ4・18)と福音を伝えられた時、「人々はみなイエスをほめ、その口から出て来る恵みの言葉に驚い」(4・22)たのです。弟子となった人々は、その解放の主に従ったのです。私もまたそうです。

ですから、その解放の主に仕え、福音を伝える者となったので、「自分を神のしもべとして推薦しています。」(4)。それは、弟子としての「苦難にも苦悩にも困難にも」耐え、敵による「むち打ちにも入獄にも騒乱にも」めげず、人としての苦痛である「疲れ果てた時も眠れない時も食べられない時も」弱音を吐かずに、「大いなる忍耐を働かせ」たのです。

彼らは、道徳的にも高貴であって「純潔と知識、寛容と親切」に満ちており、「聖霊と偽りのない愛」に満たされて力強く、「真理のことばと神の力により、また左右の手にある義の武器によって」悪と戦う断固とした決意と力を持っていたのです。

このような悪や敵と戦う意思がないとしたら、それは日常生活が怠惰だからです。仕事も生活も、実際には戦いです。霊的、道徳的に聖くないと、力が削がれます。そして、必ず、悪と罪に負けて囚われの身になります。聖霊に満たされていなければ、しっかりと仕事をすることもできず、まして、弱者や人を助けることなどできるはずがありません。「普通、平凡、一般的」などという考え方に洗脳されてはなりません。クリスチャンが、聖書も読まず、祈りもせず、人を助けることもしなければ、それは堕落しているからです。そういう人に、神からの恵みも救いも得られることはありません。

パウロは、この世で「ほめられたりそしられたり、悪評を受けたり好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。」(8)。私自身、若い時からこのようにして生きて来て、確かに失敗をしたり、そしられたり、悪評を受けたりしてきました。しかし、結果的には、神の恵みによって祝福されてきました。

恵みを必要とするのは、自分に力が無い時、何もできない時ですが、何かをしようとしなければ、恵みも要らないのです。救いを得るのは、救われなければ死んでしまう時です。福音宣教に従事して、何度のそのような時を体験し、神によって救われたことでしょうか。

まだまだ、主の恵みと救いをいただかなければならないことが続くと思われます。私自身は、勝利の確信やうまくいく確率がなくても、神のしもべとして、これからも仕えていく覚悟です。主にあって同労者として歩んでいきましょう。

Ⅱコリント書6章1~10節 【新改訳2017】Ⅱコリ

  • 6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに勧めます。神の恵みを無駄に受けないようにしてください。
  • 6:2 神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。
  • 6:3 私たちは、この務めがそしられないように、どんなことにおいても決してつまずきを与えず、
  • 6:4 むしろ、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しています。すなわち、苦難にも苦悩にも困難にも、
  • 6:5 むち打ちにも入獄にも騒乱にも、疲れ果てた時も眠れない時も食べられない時も、大いなる忍耐を働かせて、
  • 6:6 また、純潔と知識、寛容と親切、聖霊と偽りのない愛、
  • 6:7 真理のことばと神の力により、また左右の手にある義の武器によって、
  • 6:8 また、ほめられたりそしられたり、悪評を受けたり好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、
  • 6:9 人に知られていないようでも、よく知られており、死にかけているようでも、見よ、生きており、懲らしめられているようでも、殺されておらず、
  • 6:10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。