「心に納め、思いを巡らす。」 ルカ2章19~35節
御使いはマリヤに、「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(ルカ1・28)と言いますが、「マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。」(29)。
聖書にはマリヤの両親の記述はありません。レビ族の祭司ザカリヤとエリサベツの夫婦が「親類」(36)とありますから、レビ族であるかもしれません。マタイ1・16には「ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。」とあり、それはユダ部族です。「ヨセフはエリの子」(3・23)とありますが、それはヨセフがエリの義理の息子という意味で、マリヤの父がエリなのかと思われます。ともかく、この時代では、女性の系図と身分は保証されません。マリヤには兄弟姉妹はおらず、最も親しかったのがエリサベツだったのでしょう。彼女は歳をとっていました(ルカ1・7)。
親がいないイスラエルの女性が苦労をしたことは明白です。女性の権利も保証もない中で、マリヤは人々に気を使いながら働き回ったことでしょう。そんなマリヤに「おめでとう、恵まれた方。」と誉められる理由はないので、マリヤは、「このことばにひどく戸惑っ」たのです。
人々は、自分の状況、体力を考えて行動しています。自分を自分で守り、保持しないと生きていけないと考えているわけです。しかし、生存が難しい命がけの状況では、そのような余裕はありません。ただ必死に生きるだけです。そして、その状況で、その人の真実が現れます。自分を守るか、人を助けるか。
母親がなぜ、子どもたちや人々に愛されるのか。それは自分を犠牲にしても子どもを愛するからです。先週お話しした友情でも、自分の損得を優先する人には、友達ができません。できたとしても親友は得られません。
苦労をしてきた人は、思い通りに生きようとするのではなく、どうしたら良いか、人の気持ちや状況を見極めようとして「これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」(19)のが普通です。「祈り、御心を探る」ということは、このように、思いを巡らすことが必要であって、単純な行動派ではいけません。
なぜ、マリヤは「恵まれた方」なのでしょうか。それは、神に選ばれ、恵まれるていくからです。自分の権利や損得を優先する人では、これからの出産や試練は、耐えられないでしょう。マリヤのこの後の生涯は、試練と苦しみの連続です。しかし、マリヤだからこそ、耐えるのです。
当時の社会状況で、独身の女性が身ごもるならば、石打の刑にされます。それを免れたのは、ヨセフが守ったからでしょう。ヨセフも、「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」(マタイ1・20)という主の使いのことばを受け入れて、妻として受け入れたのです。
イエス様が生まれると、「ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」と主の使いに言われ、「夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ」(同1・14)たのでした。夫婦共に、波乱の人生が始まったのです。
実は、誰の人生も思い通りに快適かつスマートに(賢い)運ぶわけではありません。逃げたり、サボったり、ごまかしたりすればするほど、悪循環をしていきます。神は、人の対応をご覧になっています。「あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」(2・35)。イエス様の教えや行動は、人々の心を刺激し、ある者には悔い改めと救いをもたらし、ある者には反発と敵意をもたらします。
シメオンは、「正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。」(2・25)。だからこそ、救い主が多くの試練を受けることを悟っていたのです。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。」(ルカ2・34)。
ヨーロッパの多くのカトリック、正教会などを訪問して、マリヤ像の前で涙を流して祈っている人々を見ました。涙を流して祈るということは、悲しみや辛さを注ぎだしているのですが、そこにマリヤという苦難を経て歩み、聖母として崇拝されている姿を見ました。
12歳になられたイエス様が神殿に残って教師たちと話している姿をみて「母はこれらのことをみな、心に留めておいた。」(ルカ3・51)とあります。指図や干渉する親ではなく、子どもの特性と使命を見守り、祈ることは大事です。教会の女性たちの優しく見守る姿は、多くの人々の慰めであり、励みです。
ルカ2章19~35節
- 2:19 しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
- 2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
- 2:27 シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。
- 2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
- 2:29 「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。
- 2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。
- 2:31 あなたが万民の前に備えられた救いを。
- 2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」
- 2:33 父と母は、幼子について語られる様々なことに驚いた。
- 2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。
- 2:35 あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」
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