「管理の後先。」 ルカ福音書16章1~13節

私はMBA(経営管理学修士)です。管理が専門です。組織管理、財産管理、人間管理ができていない会社は存続できません。ですから、「人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。」(Ⅰコリント4・1.2.)は、非常によくわかります。

 最近の風潮は、「成果が出なくてしょうがない。」、「真面目に働いていればそれで良いじゃないか。」というものが特徴です。仕事ができなければ、成果が出なければ生きていけません。しかし、裕福な時代は人間を怠慢にし、堕落させるのです。聖書の教えは、人生は神から「仕事を割り当てて責任を持たせ」(マルコ13・34)られたものだと説きます。そして、忠実で賢い管理人は主人の「帰りを待っている人」(ルカ12・36)であるとイエス様が言われます。「その思い通りに働きもしなかったしもべは、むちでひどく打たれます。」(同47)。

今日の聖句の管理人は、「無駄遣いしている」のでした。クビになって当然です。ところが、世の中には、管理のできない人は多いのです。クビになっても、「どこか楽に働けるところがあるはずだ。」とかんがえているのです。最近の闇バイトに誘われる人も同様でしょう。

そういう人は、仕事もきちんとできず、お金の管理もできずに貯えがなく、アリとキリギリスとすればキリギリスのように冬の寒さの中で食べる物がなくて苦しむことになります。健康管理についてはもっと悲惨になります。健康は人にもらうことはできず、一度壊した身体はなかなか治らないからです。

 「相続人は、全財産の持ち主なのに、子どもであるうちは奴隷と何も変わらず、父が定めた日までは、後見人や管理人の下にあります。」(ガラテヤ4・1.2.)とあるように、管理のできない人は後見人や指導者がいれば良いのですが、多くの人は自己管理ができないで破綻してしまします。世の中が平穏であり、豊かな時代は良いのですが、冬のキリギリスのように、困難な時代は生きていけなくなります。

 対策には幾つかあります。

① エジプトのファラオは国を聡くて知恵のあるヨセフに任せた。

それで豊作の7年に蓄えて飢饉の7年に備えられました。しかし、現代は、指導者に全てを任せるような時代ではなく、各々が勝手に生きる時代なので、全体として対応はできません。

② 「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。」(Ⅰペテロ4・10)

 この聖句は、「万物の終わりが近づきました。」(同7)の後に続き、「あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃え盛る試練」(12)の前にあります。教会こそ、信者同士が賜物を出し合い、仕え合って終末の試練に対応できるのです。

 さて、今日の聖句、後半は意味が解らない人が殆どでしょう。

 不正な管理が主人にばれた管理人は、主人の債務者にその債務を軽減して証文を書き直したのです。他にも多くの債務を軽減したでしょう。

 「金を貸して利息を取ってはならない。」(レビ25・37)、「七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない。」(申命15・1)、同胞には「その必要としている物を十分に貸し与えなければならない。」(同8)。この不正な管理人は、律法の教えを実行したのです。債務者は大喜びで、彼は恩を売ります。主人が、それを修正させれば、不信仰者或は人非人(ひとでなし)と非難されるでしょう。主人は、おそらく誠実な信仰者でしょう。彼をクビにしたでしょうが、その行いは修正しなかったと思います。世の管理人としては不正ですが、悪人の彼が聖書的な管理を行ったのです。「不正な管理人が賢く行動したのをほめた。」(8)

 「光の子らよりも賢いのである。」(8)。クリスチャンは悪いことはしないけれど、律法の命じるような債務の帳消しや免除はしないのです。そして、単に神に与えられ任せられた賜物や財産をこの世的に管理するだけで、神の教えを果たす為に用いていないのです。

 「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。」(9)この世の金銭は、単に「「不正の富」です。神の国には持っていけません。この「不正の富」の使い方で、神に忠実かどうかは明らかになります。「あなたがたが不正の富に忠実でなければ、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょうか。」(11)。

 「あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。」(13)。この世の富を惜しんでいる人に、神に仕えることはできません。この世の富を神の働きの為に使う管理人になりましょう。

ルカ福音書16章1~13節

  • 16:1 イエスは弟子たちに対しても、次のように語られた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この管理人が主人の財産を無駄遣いしている、という訴えが主人にあった。
  • 16:4 分かった、こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、人々が私を家に迎えてくれるようにすればよいのだ。』
  • 16:5 そこで彼は、主人の債務者たちを一人ひとり呼んで、最初の人に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言った。
  • 16:6 その人は『油百バテ』と答えた。すると彼は、『あなたの証文を受け取り、座ってすぐに五十と書きなさい』と言った。
  • 16:7 それから別の人に、『あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、その人は『小麦百コル』と答えた。彼は、『あなたの証文を受け取り、八十と書きなさい』と言った。
  • 16:8 主人は、不正な管理人が賢く行動したのをほめた。この世の子らは、自分と同じ時代の人々の扱いについては、光の子らよりも賢いのである。
  • 16:9 わたしはあなたがたに言います。不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうすれば、富がなくなったとき、彼らがあなたがたを永遠の住まいに迎えてくれます。
  • 16:10 最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。
  • 16:11 ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなければ、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょうか。
  • 16:12 また、他人のものに忠実でなければ、だれがあなたがたに、あなたがた自身のものを持たせるでしょうか。
  • 16:13 どんなしもべも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。」

投稿者プロフィール

MYoshi
MYoshi