「人は皆、自分勝手。」 イザヤ書53章4~11節

他人の不幸や不運に対して同情し、助けようとする人は少ないものです。却って、批判的に努力不足、配慮不足などと見下す人もいます。人は皆、自分中心に物事を考え、自分の利益、都合を優先して判断をします。

 イエス様が捕らえられた時、「弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げてしまった。」(マタイ26・56)。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」(同26・33)と誓ったペテロも、「嘘なら呪われても良いと違い始め、『そんな人は知らない』と言った。」(74)。

 イエス様はそのような人の罪深さ、自己中心性を知っておられ、「あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います。」(34)と語っておられます。

 イエス様は、ご自分が人々に裏切られ、あざけられ、見捨てられても、弟子たちの成長と人々の救いを願っておられました。従ってきて、教えられ、育まれてきたイエス様さえも裏切った体験が、罪からの、自己中心からの真の悔い改めに繋がるとわかっていたのです。

現代のキリスト教で見られる安易な悔い改めの確認が、信仰を軽薄なものに留まらせていると私は思っています。主イエスを裏切ったという事実、「私は悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。」(38)と切望されても、見捨てて眠ってしまう弟子たちの愚かさに、「あなたがたはこのように、一時間でも、わたしとともに目を覚ましていられなかったのですか。誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」(40.41)と諫めますが、再び弟子たちは眠ってしまいます。3度目も眠ってしまうのですが、そのような霊性の低い弟子たちは、前述のように「イエスを見捨てて逃げてしまった。」のです。

 もう一つ、現代キリスト教の弱点は、信仰が知的理解に基づいたものになっていることです。弟子たちは、イエス様に教えられ、導かれたけれども、この時点では十字架の贖いを体験していないのです。十字架の贖いというのは、理解ではなく、自らの罪の醜さを認め悔い改めることなのです。この悔い改めがしっかりしていれば、人を非難する何ものをも自分にはないことを悟るのです。人を非難し裁くのは、自らの利害に基づくものであり、自分が裁く者になったら、自分も裁かれることになるのです。

「裁いてはいけません。自分が裁かれないためです。」(マタイ7・1)はなどのイエス様の山上の垂訓は、真に悔い改め救われた者にしかできないことなのです。

 イエス様の十字架は、このイザヤ書で預言されていました。「彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」(5)などという、人間には考えつかない奥義を、イザヤは神からのことばとして語ったのです。

 イザヤはダニエルと並ぶ大預言者です。あまりに将来預言が的確であり実現しているので、第2イザヤ、第3イザヤなどと分割して後代のものとされた時期もありました。北イスラエルの滅亡と南ユダのバビロン捕囚も明確に預言し、救い主預言も的確にされています。イザヤはその痛烈な預言によって王の怒りをかい、のこぎり曳きによって殺されたそうです。

 人は皆、自分勝手で、自分の利益と思惑によって左右され、行動しています。最近の政党のようです。自分のために生き行動している人と付き合うとろくなことはありません。彼らは、欲に支配されて生きているからです。

 ところが、殆どの人は、自分が自分勝手に生きているので、自分勝手に生きている人を不審に思うことがありません。そのようにして人を騙し、業績を上げ、ついには自らも破綻してしまうのです。最近とみにそういう人が増えてきています。

 どうしたら良いでしょうか。

  • 悔い改めをしっかり確認することです。
  • 考えるのではなく、祈る習慣を身に付けることです。
  • 自分の利益を求めることをやめることです。信仰で生きるのです。
  • 家族や友、教会のことを大事にすることです。
  • 聖書をよく読み、自分の人生を深く見直すことです。
  • マタイ5~7章を何度も読み直してください。そして、実行してください。あなたは、神の国に近づくでしょう。

イザヤ書53章4~11節

  • 53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
  • 53:5 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
  • 53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、【主】は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。
  • 53:7 彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
  • 53:8 虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。
  • 53:9 彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。
  • 53:10 しかし、彼を砕いて病を負わせることは【主】のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、【主】のみこころは彼によって成し遂げられる。
  • 53:11 「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。

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MYoshi
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