「自らの働きの確認。」 Ⅰコリント12章12~27節

人間の身体は一つの受精卵の分裂の繰り返しによって人としての胎児の身体になり、さらに成長していきます。変わりのないように見える受精卵の中には、固有のDNAがあり、それぞれ姿かたちが違い、性格も能力も異なる人が形成されます。その途中で、病気やケガ、或いは不摂生によって障害も起こります。しかし、人間に備えられた免疫力は、病気やケガ、そして不摂生さえも克服して、健康な身体を形成していくのです。

 ところが、罪にまみれた社会は驚くほど多くの害を人間に与え続けているのです。例えば、清涼飲料水や甘味食品には多くの果糖が含まれています。果糖は毒性が強く、肝臓を中心に身体を損ないます。

 アルコールもまた身体を害します。肝障害、膵炎や糖尿病、心疾患、高血圧、胃腸障害、がんなどを起こし、睡眠障害やうつ病といった心の問題を招くおそれもあります。酔うことで、神経を麻痺させることを習慣とするのは、健全な生活を営んでいないからです。

 私は東北大震災の後、「神のデザインによる医療」という本を執筆し、身体を損なうものを平気で人間は摂取している、と警告しました。それらは神が備えられた免疫機能を崩壊させてしまうのです。コロナワクチンの警告としても伝えました。日本は、他国で食品添加が禁じられているものも平気で使用し続けています。

 日本社会は、人間を「利用する消耗品」と捉え、その修理(治療・福祉)とメンテナンスはするけれど、人間の尊厳や幸福を認めていないように感じます。国民自体が、治療には一生懸命だけれど、生き方を考えていないで過ごしています。「罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。」(エペソ2・2)とあるとおりです。

 サタンの惑わしによって、互いに優劣を競い、劣等とした者を差別搾取してきたのです。また、学歴のない者や能力のない者を蔑み、また自らも価値が無いように思い込んでいるのです。それで、「自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」(同3)。価値がある者であること、神からの使命が与えられていることを知らないのです。

 今日の聖句は、「神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。」(18)とあり、手、足、目、頭の価値に差はなく、かえって、「からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。」(22)と扱っているのです。つまり、能力や働きで優劣は無いということです。かえって、健全な身体では、か弱く見える部分が貴重だということです。

 私は、牧師が信者よりも地位が高いという考え方が嫌いでした。学歴や学校の成績で優劣を付けることも浅はかであると考えていました。貧しい家の出身ですから、貧しさの貴重さを知っています。大人になって、指導者や地位のある人々のずる賢さを知りました。ですから、聖書を読んで、山上の垂訓の「貧しい者は幸いです。悲しむ者は幸いです。・・・」(マタイ5・3-)に感動しました。

 ところが、牧師として歩みながら、成功を求め、優劣を競い、従順を強いる指導者を見て、キリスト教も聖書的ではなくなっていることを憂いました。自らは正義感と規律性を強く保持する性格ですが、それもまた聖書と聖霊に従っているとはいえないと反省しました。

専門の経営学から見て、不合理な上意下達的組織が形成され、信者もきちんと教育されていないことがあります。信仰熱心で、教会奉仕に忠実であることを信者に求める教会が多いのです。さらに、失礼ですが、牧師自身に信者を指導し教育する知識や社会性、そして教養がないこともあるでしょう。これではキリスト教や教会が進展するには無理があります。

 マリヤ・クリニックで採用する分子整合栄養医学は、病気や障害の原因を突き止め、それを除去し、正しい栄養を補給し、健康の自己管理を主張します。

「それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。」(25)とは、なんと素晴らしい状態でしょう。まず、物事の優劣を見る考え方をやめましょう。利益や富を基準に考えると神に従い、人を愛することができなくなります。

 教会員としての誓いを果たさず、礼拝も献金も奉仕もしない人は神がこの教会から離していくでしょう。害となる人を留めてはいけません。そして、正しい信仰者の生き方を身に着けてもらいます。そのようにして、教会は健全で力のある神の身体として成長していくのです。

Ⅰコリント12章12~27節

  • 12:12 ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
  • 12:13 私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。
  • 12:14 実際、からだはただ一つの部分からではなく、多くの部分から成っています。
  • 12:15 たとえ足が「私は手ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。
  • 12:16 たとえ耳が「私は目ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。
  • 12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょうか。もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。
  • 12:18 しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。
  • 12:19 もし全体がただ一つの部分だとしたら、からだはどこにあるのでしょうか。
  • 12:20 しかし実際、部分は多くあり、からだは一つなのです。
  • 12:21 目が手に向かって「あなたはいらない」と言うことはできないし、頭が足に向かって「あなたがたはいらない」と言うこともできません。
  • 12:22 それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。
  • 12:23 また私たちは、からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、見栄えをよくするものでおおいます。こうして、見苦しい部分はもっと良い格好になりますが、
  • 12:24 格好の良い部分はその必要がありません。神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、からだを組み合わせられました。
  • 12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。
  • 12:26 一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
  • 12:27 あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。

投稿者プロフィール

MYoshi
MYoshi