「各人の働きは火が試す。」 Ⅰコリント書3章10~17節
政府は老後の資金が幾ら必要とか強調していますが、それは経済的側面だけで、いたずらに人々を脅しています。資金が確保されても、それで人間的に幸せに生きられるというものではありません。
先日、ある会議に出席しましたが、聡明な方々なのに、その内容は金銭的逼迫を案じる否定的消極的な意見ばかりで、暗い気持ちになりました。何人かの人々が、そこから抜けている理由がわかりました。
現代社会は、どこにおいても経済的な関心が占めています。それでは、裕福になったり、お金が豊かになったら、幸せになるのでしょうか。現実のニュースや状況は、金の亡者としての破滅を示しているだけです。それでも金銭に固執するのは、やはりサタンによる世の中の洗脳が大きく影響しているでしょう。
イエス様は、「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。」(マタイ6・19)と言われました。そう言いながら、多くの牧師が「教会に献金しなさい。」と言うのは胡散臭いものです。ともかく、「あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。」(同24)は真実です。
信仰とは、神を信じて生きることです。ですから、富を求めて生きれば、神を信じる信仰は薄くなり、偽善的なものになるのは当然です。
それは、お金を貯めるな、ということではなく、お金に固執するなということでもありません。「天の御国は、旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで財産を預ける人のようです。」(同25・14)とイエス様は語り、それを増やした者を「良い忠実なしもべだ。おまえは僅かな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」(21)とほめています。つまり、自分のために稼ぐことをやめ、神の国のために働きなさいと言われているのです。
私には、「空の鳥を見なさい。」「野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。」(マタイ6・30)と言われるように、この人生をおおらかに神に委ねて熱心に働き、愛し合い、楽しんで生きたらそれで良いように思います。
そういう面で、老後のために蓄財しろ、というアピールはサタンの誘惑のように思われます。蓄財に関心がいくと、人生を楽しんだり、食事や栄養を十分に摂れなくなったり、交流も減ってきます。
「神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒2・17)。災害や戦争、困難が預言されるこの時代に、神は神を求める全ての人に聖霊のバプテスマを注いでくださいます。聖霊に満たされないと、悩みや愚痴ばかり言ってしまい、幻や夢を見ることもなく、悲観的になってしまいます。
キリストを信じて生きることがクリスチャンの「土台」(11)です。どのように生きるかが、「金、銀、宝石」のような高価な物か、「木、草、藁」のような安価で容易く手に入れられる物かで分けられます。自分の人生を楽なもので築き上げようとするか、困難を少しずつ克服して築いていくかで、その土台の上に、それぞれの家(人生)が建てられます。
「リーズナブル」という言葉は、「合理的」「適正」という意味でしたが、最近は、「安い」という意味に用いられています。私は、安い物はあまり買わないようにしています。妻は、「バーゲン」とか「割引券」というとわざわざ買いに行きますが、私には「安物買いの銭失い。」と笑います。私は必要な物、良い物以外には、殆ど買いません。甘いものは食べず、美食も遠慮します。高価な食事は身体に悪いと思っています。嫌な人とは決して付き合わず、無駄なこともしません。
自分の時給は1万円以上だと意識して行動しています。そうすると牧師給は10時間ですが、100万円以上の仕事をしている意識を持ちます。だらだらと時間を過ごす人の働きは、無駄が多く成果が出ません。無駄なこと、愚かなことをしていると自分の品性と人格が衰えると考えています。だから、「怖そう」「偉そう」と思われてしまうかと思いますが、私には人の評価よりも、主の評価が大事です。
善良な人の助けとなるならば労は厭いません。仕事や奉仕は、全力で価値あるものにしようと心がけます。「火」(試練や困難)があっても、全力で対応すれば、良い経験になり、より良いものを作り上げられます。逃げたり、避けたり、弁解をしたりしたことはないつもりです。「主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍耐し、反対する人たちを柔和に教え導きなさい。」(Ⅱテモテ2・24)を心がけています。試練の火の先には、裁きの火があります。「その日」に働きが明らかになります。
Ⅰコリント書3章10~17節
- 3:10 私は、自分に与えられた神の恵みによって、賢い建築家のように土台を据えました。ほかの人がその上に家を建てるのです。しかし、どのように建てるかは、それぞれが注意しなければなりません。
- 3:11 だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
- 3:12 だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、
- 3:13 それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。
- 3:14 だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
- 3:15 だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。
- 3:16 あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。
- 3:17 もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。
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