「天国における報いの違い。」 Ⅰコリント書15章35~44節
使徒9章にタビタという女性の死が記されています。ドルカス(かもしか)というギリシャ語名ですが、働き者で「彼女は多くの良いわざと施しをしていた。」(使徒9・36)。弟子たちは、どうにかしてよみがえらせようとペテロを招きます。既に、死後に遺体を洗い、屋上の間に安置してあったので、日が経っています。しかし、ペテロが祈り、宣言すると彼女は甦ります。
みせ姉が召されて、火葬式では、親族に欠かさず誕生のプレゼントをしていたと話されました。その他、多くの人から、助けられた話を聞きました。聖書全巻の丁寧な書写には感動しました。そこで、ドルカスのことを思い出したのです。
私には、みせ姉の「苦しい。助けて!」という声が残り、もっと助けられなかったのか、してやれなかったのか、と慙愧(ざんき)に堪えません。最後に目を合わせた時の顔は、どんな思いだったのでしょうか。
昭二兄の介護施設を訪問すると、他の入所者が、よだれを垂らし、わめき、殆ど会話が成り立たない様子に驚きます。昭二兄は、認知症は表れておらず、正常な会話や記憶を持っています。しかし、昭二兄とは、「みせさんにこんな介護施設は可哀想だね。誇り高い人だから。」などと話していました。神様が、そんな悲惨な目に合わせずに、天に召し上げてくださったと今は信じています。
さて、イエス様は、「喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。」(マタイ5・12)と言われました。「報いが大きい」とは、報いが少ない、小さいということもあるわけです。「人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。」(同16・27)は、信仰者の行い、歩みが、天において報いの違いとして現れることを示しています。
その報いの違いは、この地上で報われないことをすることによってであると教えています。「あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着も取らせなさい。」(マタイ5・39.40)。「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(同44)。「施しをするとき、偽善者たちが人にほめてもらおうと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。」(同6・2)。「あなたの施しが、隠れたところにあるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(6・4)。
人生は、神が私たちを見守り、査定をする期間なのです。「もし、そのしもべが心の中で、『主人の帰りは遅くなる』と思い、男女の召使いたちを打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めるなら、そのしもべの主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ報いを与えます。」(ルカ12・45.46)。
「神は愛なのに、なぜそんな厳しい仕打ちをするのか」、と文句を言う人は、全能の神に裁かれるだけなのです。金持ちとラザロのたとえ話はイエス様が話されました。金持ちは、生きている間、良いものを受け、苦しんでいる者や貧しい者を顧みなかったのです。それで黄泉で苦しみを受けるのです。「モーセと預言者たち(聖書のこと)に耳を傾けないなら、たとえ、誰かが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。」(ルカ16・31)。
今日の聖句では、天国では「御霊のからだ」(Ⅰコリント15・44)に変えられるとあります。そして、「天上のからだの輝きと地上のからだの輝きは異なり、太陽の輝き、月の輝き、星の輝き、それぞれ違います。星と星の間でも輝きが違います。」(40.41)。つまり、天国において、人それぞれに、報いとして輝きの違いがあるというのです。
多くの人は、神は公平であると誤解しています。それは悪いしもべのように自分に都合の良いように思い込んでいるだけで、正義と真実な神は、多くを与えた者には、多くを報いてくださるのです。天国に行ければそれで良いと考える人は、それで良いと思います。しかし、神に忠実にこの世で歩み仕えた人と、そうでない人には、報いの違いがあると聖書は明言しているのです。
「見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。」(黙示録22・12)
Ⅰコリント書15章35~44節
- 15:35 しかし、「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか」と言う人がいるでしょう。
- 15:36 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生かされません。
- 15:37 また、 あなたが蒔くものは、後にできるからだではなく、麦であれ、そのほかの穀物であれ、ただの種粒です。
- 15:38 しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。
- 15:39 どんな肉も同じではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉、それぞれ違います。
- 15:40 また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの輝きと地上のからだの輝きは異なり、
- 15:41 太陽の輝き、月の輝き、星の輝き、それぞれ違います。星と星の間でも輝きが違います。
- 15:42 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
- 15:43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、
- 15:44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
投稿者プロフィール

最新の投稿
お知らせ2025年4月20日2025年4月20日 イースター礼拝
今週のメッセージ2025年4月20日「他人を救ったが自分は救えない。」 マルコ15章16~32節 今週のメッセージ
今週のメッセージ2025年4月13日「3日後によみがえらなければならない。」 マルコ8章31~38 今週のメッセージ
クリエーション子供礼拝2025年4月13日「うめきから祈りへ変えよう」2025年4月13日 クリエーション子供礼拝