「リセットは可能か。」 Ⅱコリント書5章10~17節
転職紹介会社やサイトが大流行です。転職して、条件が良くなる人は一部で、転職を繰り返すと次第に状況は悪くなります。私は高校時代から、自分が頑固なので、会社員や教員はだめだと思い、専門職を目指していました。クリスチャンになって従順を心がけ、大学教員を考えましたが、指導教授を身近に見て、やはり無理だと思いました。神学校に入ると、更に従順を条件と教えられましたが、ストレスになりました。
牧師になって猶更、忍耐を旨としましたが、性格が悪くなりました。心臓を悪くし、死にそうになって、悔い改めました。結局のところ、日本のクリスチャン理想像が自分には合わず、神は私をそのように無理に型にはめようとはされていないのではないか、と思い直しました。正しいかどうかわからなかったのですが、成功を諦め髪結いの亭主(妻に養われる夫)として生きることを覚悟したのは40歳頃です。その後、子育てに苦労し、PTAでは女性たちに使い回されました。この頃、女性の苦労が心底わかる気がしたものです。50歳になる頃、神の前に泣き、会堂を与えてくださいと嘆願しました。ゴールデンリトリバーのジョイと毎日散歩をしましたが、あまり優しくなかったので、可哀想だったと今は思います。
何度悔い改め、心を変えたか、おそらく7を700倍以上していると思います。ともかく、少しずつ変わってきました。「だれでもキリストのうちにあるなら」(17)、「誰でも」とは、生まれも育ちも環境も能力も関係なく誰でもということです。「キリストのうちにあるなら」キリストを信じ続けるならばということです。
「心ではなくうわべを誇る人たち」(12)が、私達を非難しても、気にしてはいけません。「正気でない」(13)と言っても、動じてはいけません。私は確かに頑固でした。性格も悪かったけれども、不正はせず、世評に動かされず、信念を持って生きてきたつもりです。確かに、世に迎合せずに神を信じ生きていくには、頑固でなければなりませんでした。それをうまく調和調整するほどの経験と練達は、若い時分には身につけようもありません。しかし、それによって固有の賜物が形成されるのです。
世の中が語る理想などに目を向けてはいけません。ゲームソフトで、「リセット」すると、新しく始められますが、人生はリセットできません。自分というものの個性を他と比較してはいけません。「思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。」(ローマ12・3)。能力のない目立たない人ならば価値がないと、考えている人が多くおります。「思い上がる」ということは、そのような権力を持ちたいと考えることです。
「希望を持ち、思い通りの人生を生きる。」というのは、自己中心という罪にまみれたこの世の生き方です。そして、思い通りにならなかったら「リセット」を考える人々です。
「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」(ローマ12・2)。信仰生活とは、神を信じてこの世と戦っていくことです。この世に迎合して、「調子を合わせてはいけません。」。冒頭に述べた私の葛藤は、この世と私の自我との争いの中で神を信じ悔い改めてきた経緯です。そして、葛藤の中で「新しく造られた者です。」
今後、AIの進展によってホワイトカラーの仕事はなくなっていくでしょう。単に大学へ行くとか、成績が良いとか、という日本的な立身出世のコースは崩壊していくでしょう。それどころが、終末の混乱が世界を大きく揺るがします。個性というものは、苦労して生きながら形成されていくものです。ゲームが知性や知恵を伸ばすなどといわれますが、ゲームは遊びに過ぎません。天才的に創造性のある人もいますが、それはその努力と苦労があるからです。
「大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っている」(同5.6)のです。自分をよく見つめ、探り、神に祈り問い、日々、悔い改めながら変えられていくのです。神に聞く人は、思いもよらぬ人生が開けてきます。
「私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。」(Ⅱコリント5・16新改訳第3版)。自分がどういう人間か、どうなるか、を決めつけている人が多いようです。「人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」(Ⅰコリント2・9)
Ⅱコリント書5章10~17節
- 5:10 私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。
- 5:11 そのため、主を恐れることを知っている私たちは、人々を説得しようとしています。私たちのことは、神の御前に明らかです。しかしそれが、あなたがたの良心にも明らかになることが、私の望みです。
- 5:12 私たちは、またしてもあなたがたに自分を推薦しているのではありません。むしろ、あなたがたに私たちのことを誇る機会を与え、心ではなくうわべを誇る人たちに応じられるようにしたいのです。
- 5:13 私たちが正気でないとすれば、それは神のためであり、正気であるとすれば、それはあなたがたのためです。
- 5:14 というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。
- 5:15 キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。
- 5:16 ですから、私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。
- 5:17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
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