「頑固親父な神。」 ルカ福音書3章7~14節
今日は父の日礼拝です。過去、地区では父の日に合同集会を持っていたために、この礼拝を一週間遅らせていました。
歳をとると男女とも、頑固になる人が多いのですが、それは高度な精神活動を司る前頭前野の機能が低下するからだそうです。
頑固な人は自分の意見を曲げようとせず、自分自身の考えが一番だと思っています。自分で信じた固定観念に縛られているため、相手の意見に耳を傾けず、自分と異なる意見に対しては「間違っている」と決めつけることもあります。プライドも強く、自分に非があっても間違いを認めたくなく、認めると自分の弱さを認めることになり、反省もしません。頑固な人は責任感が人一倍強く、自分の行動を正しく思っている以上、一度やりはじめたことは最後までやり通します。そのため、仕事においては頼れる一面を持っていますし、頑固で妥協しないことから、仕事における完成度も高いものになります。但し、頑固な人は臨機応変に対応できず、融通が利かずに仕事の効率が悪くなってしまうこともあります。親が「権威主義」的な教育の場合の方が「許容的」教育だけの場合よりも子どもの実行力が高いという研究データもあるそうです。
さて、そのような心理学的社会学的頑固さはともかく、父なる神は頑固な側面が強くあります。しかし、頑固親父を迷惑、愚かと捉えている現代人は、神の厳しさを理解できず、神に現代社会の理想像としての優しさや配慮を求めてしまっています。つまり、人間にとって都合の良い神を求めており、神に躓いてしまうのです。
ヒューマニズムという言葉が好きな人が多く、理想のように思われていますが、その意味は「宗教や権力などの束縛から人間性を解放させる思考」であって、信仰者だけでなく、普通の人間が感化されると思わぬダメージを受けます。それは、宗教の意識付けを害としたり、権力や体制・組織に従わなかったり、「人間中心主義」と訳されるように、人間個人にとって都合の良いものを探ろうとする考え方です。そこでは、能力のある人、権力や富のある人の為の思想です。「博愛主義」と訳されることは、その内容からして適切ではありません。
聖書に基づけば、人間は神が造られたもので、私たちは神の栄光を現すために造られ、そして神の似姿に変えられて神の国に迎えられて生きるものとされます。
罪にまみれた自己中心な人間にとって、神のままに動かされるのは嫌なもので自由勝手に生きたいと願うものです。しかし、その結果は、罪の奴隷であり、欲望のままに壊滅していく人生です。最近は、親に注意されない子供たちの無茶な行動が周囲の人々に迷惑を掛けている事例が報告されていますが、その子供たちが大人になった時の様相が心配です。周囲に配する配慮が身に付かないと、安易に犯罪に結びついていくことがあります。
祈りや信仰の姿勢でも、神への要求を繰り返し、断食や請願を重ねて求める過激な信仰者が多くおります。イエス様は、「祈る時、異邦人のように、同じ言葉をただ繰り返してはいけません。」(マタイ6・7)と注意しています。「あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなた方に必要なものを知っておられるのです。」(同8)。
「我が子よ、主の懲らしめを拒むな。その叱責を嫌うな。父が愛しい子を叱るように、主は愛する者を叱る。」(箴言3・11.12)とあるように、父親に叱られたことのない人は、社会の厳しさに耐えられず、不平を言い、挫折します。
ダビデは、大きな罪を犯した時、神から、①7年間の飢饉、②3か月間敵に追われること、③3日間疫病が国を襲うことのどれを選ぶかと尋ねられました。ダビデは、「主の手に陥らせてください。主の憐れみは深いからです。私が人の手には陥らないようにしてください。」(Ⅱサムエル24・14)と答え、民が疫病に苦しんでいると、「この私に罪があるのです。私が悪いことをしたのです。」(同17)と自分への罰を願います。
父なる神は、人が正しく御心を生きることを望んでおられ、それができない人に罰を与えるのです。この罰に不満を持つ人が、神に不満を持ち、また信じ従うことをしないのです。「自分の父や母をののしる者、そのともしびは、闇が近づくと消える。」(箴言20・20)。父や母に従わず、ののしる子は、試練に耐えられないのです。父の訓戒こそが、神への従順と結びつくのです。
「誰でも天におられるわたしの父の御心を行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」(同12・50)とイエス様は語られました。
ルカ福音書3章7~14節
- 3:7 ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしの子孫たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。
- 3:8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。
- 3:9 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。」
- 3:10 群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょうか。」
- 3:11 ヨハネは答えた。「下着を二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」
- 3:12 取税人たちもバプテスマを受けにやって来て、ヨハネに言った。「先生、私たちはどうすればよいのでしょうか。」
- 3:13 ヨハネは彼らに言った。「決められた以上には、何も取り立ててはいけません。」
- 3:14 兵士たちもヨハネに尋ねた。「この私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、金を力ずくで奪ったり脅し取ったりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」
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