「神の御心に添った悲しみ」 Ⅱコリント7章5~11節

「外には戦い、内には恐れ」((5)は、しばしば引用される言葉です。人生は、このようなことの連続です。

 聖書は、戦いの原因を次のように述べています。「あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではありませんか。」(ヤコブ4・1)。自分の思い通りになるように願い、「悪い動機で求めるからです。」(同3)。

 人々は自分の欲望に基づいて、戦いを起こしています。私たちは、その欲望についてよく理解して対処しなければなりません。そして、現代社会で当然だと思われていることが、私たち信仰者の間違った願いになっている場合があるのです。コリントの教会についての戦いは、パウロの信仰指導の厳しさと、コリントの教会が世に迎合していることについて起こりました。「思い上がっている人たちの、ことばではなく力を見せてもらいましょう。神の国は、ことばではなく、力にあるのです。あなたがたは、どちらを望みますか、むちを持っていくことですか。それとも愛をもって柔和な心で行くことですか。」(Ⅰコリ4・19-21)。

 コリントの教会には「淫らな者、貪欲な者、偶像を拝む者、人をそしる者、酒におぼれる者、奪い取る者」(同5・11)がいたのです。パウロは、「あなたがたが裁くべき者は、内部の人達ではありませんか。」(12)と厳しく戒めます。「正しくない者は神の国を相続できません。」(9)。

 現代社会は、「淫らな行いをする者、偶像を拝む者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒におぼれる者、そしる者、奪い取る者」(9.10)が横行し、キリスト教会でさえLGBTQ(※)を認め始めています。聖書よりも、社会の風潮を優先する牧師が起こっていることは驚きです。彼らは「神の国を相続することができません。」(10)と断言している聖書をどのように伝えるのでしょうか。パウロの時代の問題が、更に拡大して現代教会にも及んでいるのです。

※ レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、性同一性障害など。

私は、家庭内の不和も、内面的戦いが原因だと思っています。家事を全くせずに威張っている夫が、妻の不満や恨みを買うのは当たり前です。文句ばっかり言っている妻が、夫の怒りを買うのも当然です。クリスチャンでさえ、自分の欲望に基づいて(価値観に基づいて)、戦いを起こしています。

 私たちは、伝統や慣習ではなく、聖書に基づいて自分と人生を築き上げる必要があるのです。

 また、気になる風潮もあります。健康や思い通りに生きることを願い過ぎることです。「自分のいのちのことで心配したり、…、自分の身体のことで心配したりするのはやめなさい。」(マタイ6・25)。それは、「異邦人」(32)、神を信じない人がする願いなのです。「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。」(同16・25)。私自身が、体調を壊して多くの人から心配され祈られてみて、失礼ながら、こういう思考は、この世の思いではないかと、聖書の言葉を改めて実感しました。

パウロの「恐れ」とは、信仰者が信仰を失うことです。コリントの教会は、信仰の危機に直面していました。「あなたがたの中には、兄弟の間を仲裁することができる賢い人が、一人もいないのですか。」(Ⅰコリ6・5)。異常な言動に対して、皆が黙り、或はなだめてご機嫌を取り、或は敵対し、或はただ祈っていて、責任を取る行動を取らないのです。祈るということは、神任せで都合の良い言い逃れです。

パウロは、「私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょうか。」(Ⅱコリ2・2)と、厳しく指導した人の回心を求めています。そして、「あなたがたは、むしろその人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。」(7)と深い愛情を示し、指導しています。

信仰者は、中途半端な信仰で済ませてはいけません。

「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。」(同4・8-10)。

「私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(同4・16)。

Ⅱコリント7章5~11節

  • 7:5 マケドニアに着いたとき、私たちの身には全く安らぎがなく、あらゆることで苦しんでいました。外には戦いが、内には恐れがありました。
  • 7:6 しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことで私たちを慰めてくださいました。
  • 7:7 テトスが来たことだけでなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、私たちは慰められました。私を慕うあなたがたの思い、あなたがたの深い悲しみ、私に対する熱意を知らされて、私はますます喜びにあふれました。
  • 7:8 あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、私は後悔していません。あの手紙が一時的にでも、あなたがたを悲しませたことを知っています。それで後悔したとしても、
  • 7:9 今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちから何の害も受けなかったのです。
  • 7:10 神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
  • 7:11 見なさい。神のみこころに添って悲しむこと、そのことが、あなたがたに、どれほどの熱心をもたらしたことでしょう。そればかりか、どれほどの弁明、憤り、恐れ、慕う思い、熱意、処罰をもたらしたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明しました。