今週のメッセージ 「先に立つイエスに恐れを覚えた。」 マルコ10章29~34節

先週お話ししたように、イスラエル民族は歴史上常に大きな迫害に遭い、凄まじい数の人々が殺害されてきました。それでもなお、律法を守り、ユダヤ人とは、「ユダヤ人の母から産まれ、あるいはユダヤ教徒に改宗した者で、他の宗教の成員ではない者」であるとされ、その厳しい戒律を守り続けていることは驚くべきことです。

 イスラム教の戒律も、豚肉や酒の禁止(ハラーム)、1日5回の礼拝、ラマダン月の断食、ヒジャブ着用、利息の禁止、嘘や中傷の禁止などを守っています。

 キリスト教の戒律は、十戒がありますが、あまり守られていないのが実際です。プロテスタントでは、禁止事項よりもイエス・キリストが教えた「神と隣人を愛する」という愛の精神が重視されていますが、それとても美辞麗句のようになっています。つまり、宗教としては、キリスト教が最もその教えから離れた信者が多いものとなっています。

 その理由は、キリスト教が律法的・戒律的なものから、自由意思による信仰を重視するものだからです。厳しい戒律によって人や社会を拘束することは、現代社会では激しい反発を受け、特にイスラム教国では、抑圧や差別、に対する抗争が繰り広げられています。プロテスタントのトランプ氏は、こういう抗争の解決と解放を理由に攻撃していますが、社会正義からは正当化されるものではありません。

 そのような知的論争や利害を超えて、私たちクリスチャンが強く意識しなければならないことは、神が警告を繰り返されている終末です。日本のマスコミは宗教を理解せず、無神論的主義主張を繰り返しています。気を付けなければならないことは、日本人はマスコミの情報を知的に理解し選別していますが、世界は決して知的に動くものではないことです。そして注意しますが、クリスチャンたちが聖書に聞くことよりもテレビやニュースを聞いて、それを関心と興味をもって受け入れていることです。つまり、自称クリスチャンが信仰生活から離れているのです。そして、気ままな生活を送っているのです。

 終末というのは、救い主イエス様が裁き主になって来られるということです。キリスト教の寛容さと戒律の無さが却って、その人の信仰の状態を明らかにします。戒律で拘束して信仰を強制するのでは、心の内面はわかりません。神が裁くのは、私たちの心の内です。「あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。」(マタイ5・20)。パリサイ人とは、律法を厳守するけれども、心は通っていない信仰でした。それは、否定されたのです。

「まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのためにさばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます。だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」(ルカ18・8)。天国に永遠に住まうということの代価は、真の信仰者であるか否かです。そのために、神は多くの試練と苦難を私たちに課すのです。そして、それは強制されたものではなく、自発的に「昼も夜も神に叫び求めている」人々に赦される褒美なのです。

 その試練は、「家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、畑を」(29)掛けての厳しいものとなるのです。「福音のために」という言葉は、信仰のゆえに、それらから迫害されるということです。そして、迫害にあっても信仰を忠実に守るならば、「家、兄弟、姉妹、母、子ども、畑を百倍受け、来たるべき世で永遠のいのちを受けます。」(30)。つまり、信仰を貫くかどうかの試練があり、それを信仰で乗り越えたならば、批判攻撃してきた家族をも救いに導くことができるけれども、家族を優先して信仰を二の次にしたら、信仰から離れることになるとイエス様は語っておられるのです。

 「一行はエルサレムに上る途上にあった。」(32)。それは、十字架にかけられるためのエルサレム行きでした。ふだん優しいイエス様の真剣な様子に弟子たちは「弟子たちは驚き、ついて行く人たちは恐れを覚えた。」(32)。

 十字架自体が、人々の想定外でした。神の子が、十字架に掛かるのは、すべての人の罪をその身に負うためでした。しかし、実際には、その十字架刑が自らの罪を贖うものであることを認めた者だけが赦されるという奥義でした。

 主の再臨も、人々の想定外です。「イエスは、ご自分が、生きている者と死んだ者のさばき主として神が定めた方である」(使徒10・42)とあるように、2000年前に救い主として世に現れた神の御子が、今や裁き主として再び、現れるのです。

 「 見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。」(黙示録1・7)

マルコ10章29~34節

  • 10:29 イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、畑を捨てた者は、
  • 10:30 今この世で、迫害とともに、家、兄弟、姉妹、母、子ども、畑を百倍受け、来たるべき世で永遠のいのちを受けます。
  • 10:31 しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になります。」
  • 10:32 さて、一行はエルサレムに上る途上にあった。イエスは弟子たちの先に立って行かれた。弟子たちは驚き、ついて行く人たちは恐れを覚えた。すると、イエスは再び十二人をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを話し始められた。
  • 10:33 「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。そして、人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。
  • 10:34 異邦人は人の子を嘲り、唾をかけ、むちで打ち、殺します。しかし、人の子は三日後によみがえります。」

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MYoshi
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