「3日後によみがえらなければならない。」 マルコ8章31~38 今週のメッセージ

「イエスは、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。」(31)。すると、ペテロは「イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。」(32)。ペテロは、この直前に、「あなたはキリストです。」(29)と告白しているのに、イエス様がご自分の将来を否定的に言われると、何を馬鹿なことを言うのかと諫めたのです。「捨てられ、殺され」という人生は、敗北以外の何物でもありません。さらに、「よみがえらなければ」というと、奇想天外のこととなります。イエス様の人生は、人の判断では全くの挫折の人生であり、よみがえると言われたら異常なこと、ありえないこととなります。

 先ほど、成果主義、成功思考の害をお話ししました。クリスチャンとして、「立派な人生を送りたい」、「信仰の証しを立てたい」、「願うものを神にかなえてほしい」などと考えることはよくあります。牧師でも、そういう願いを持つ人は多く、クリスチャンでは一般的な願いです。

 しかし、それは先ほどの学びからしても、健康を害し、人格を阻害し、家庭や人間関係を崩壊させてしまう考え方です。たまたまキリスト教に接し、洗礼を受け、教会に集っているけれども、この世の競争的会社や教育と同じものです。外面を飾り、信仰者らしい様相を保とうとします。

 いくら聖書を学び、教えを受け、祈りや讃美をしても、自分の成功を願っているならば、それは欲望でしかありません。心の底まで見通す神をごまかせると考えているとしたら、それは信仰が欺瞞だからです。「良い木はみな良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。」(マタイ7・17)。「『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられる父のみこころを行う者が入るのです。」(マタイ7・21)。

 現代のクリスチャンは、イエス様が十字架に掛かっても復活することを知っています。しかし、自らが挫折し、失敗し、試練を受け、苦労し、なおのこと、人を助け愛することを受け入れることができるのでしょうか。そのように思うペテロに対し、イエス様は「下がれ、サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(33)と叱責されました。実際には、人を助けることよりも、自分の生活と誇りを優先して、信仰の破船に遭う人が多くいるのです。

「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。」(34.35)とイエス様は言われました。「自分を捨て」とは、自分の主義主張や利益などを守ろうとしないことです。

 人には、能力と体力、そして時間などの限界があります。その有限なものを自分のために使おうとし、また自分を守ろうと防御線を敷き、また自分の成功や主義主張の為には、意地を張り無理をします。しかし、そのようにして「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失」うのです。私は、そのようにして人生を崩壊させ、信仰も形式的になった人々を多く見ています。

 「自分の十字架を負って」とは、イエス様がご自分の罪ではなく、すべての人の罪を負うたことにならって、自分と関わる人々の咎や罪を敢えて引き受けて生きることです。人を責めたり、非難したりするのは論外です。私たちは、自ら多くの負い目と罪を負っているのです。ですから、周囲の人の弱さや愚かさを負い犠牲になり助けることによって、自らの十字架を負う生き方を果たすことができるのです。

 「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。」(36)。世界は、真に神を信じる人々はあまりいません。終末の兆候がかなり起こっている現在においても、享楽に生きており、犠牲を払って神を信じて生きる人は愚かとみなされましょう。

 「自分のいのちを買い戻すのに、人はいったい何を差し出せばよいのでしょうか。」(37)。十字架を負って生きる以外に、自分のいのちを神の国に繋げることはできないのです。実際、教会生活を忠実に守り続ける人は少なくなっています。

 誠実な信仰生活は、この世の人にとっては愚かと見えるのです。しかし、「このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるなら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るとき、その人を恥じます。」(38)。灰色の生き方はなく、神を信じるか信じないかの黒白の区別のはっきりとした生き方をしなければならない時代になっているのです。

マルコ8章31~38

  • 8:31 それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。
  • 8:32 イエスはこのことをはっきりと話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。
  • 8:33 しかし、イエスは振り向いて弟子たちを見ながら、ペテロを叱って言われた。「下がれ、サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
  • 8:34 それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
  • 8:35 自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。
  • 8:36 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。
  • 8:37 自分のいのちを買い戻すのに、人はいったい何を差し出せばよいのでしょうか。
  • 8:38 だれでも、このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるなら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るとき、その人を恥じます。」

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MYoshi
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