今週のメッセージ「ヨセフの成熟に歴史を掛けられた。」 創世記39章16~23節 

先週は偉人教育の害をお話ししました。ヤコブを権威ある老人に成熟させたのは、数十年に亘る逃れようのない苦難と苦しみの中で信仰が研ぎ澄まされたからでした。

 今日は、ヨセフのことをお話しします。ヨセフは、エジプトの絶対的権威を持つ宰相にまでなった人ですが、これも単なる成功物語と捉えてはいけません。もし、神に祝福と成功を求めるならば、神はその人を試練と絶望の人生を与えるでしょう。その人生の歩みの中で、なおも神を信じ委ねて生きるならば、その人は祝福や成功に勝る平安と喜びの人生をえることができます。

 ヨセフは、ヤコブの十一番目の息子でしたが、前述したように、ヤコブにとっては「私の妻は二人の子を産んだ。」(創世記44・27というように、特別な正妻の子、世継ぎとして甘やかされて育てられたのです。それで、17歳の時に、「ヨセフは彼ら(兄たち)の悪い噂を彼らの父に告げた。」(37・2)と告げ口をしています。また、「兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」(7)とか、「太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました。」(9)などという夢を皆に平気で告げています。全く配慮のない、高慢な弟でした。

 AIで「配慮が足りない人の特徴」として調べました。

「自己中心的」「他人に無関心」「想像力の欠如」が主な特徴です。周囲の状況や相手の気持ちを読めず、自分の欲求や都合を最優先する傾向があります。挨拶や「ありがとう」「すみません」などの一言が不足しており、悪気なく相手を不快にさせることがあります。

 ヨセフは、このように全く配慮をしないで過ごして、兄たちの怒りを招き、「殺してしまおう。」「あいつの夢がどうなるかを見ようではないか。」(20)と憎まれるようになりました。

 こういうことを知ると、配慮を身に着けさせようとして躾けようとしたり、教えようとしたりするのが日本の考え方です。ただ、皆さん思い返してください。人間は、それぞれが非常に個性的です。例えば、注意欠陥多動性障害ADHGという発達障害の人を変えようとすることは難しく、最近では障害ではなく、個性であると受け留める考え方が起こっています。配慮を身に付けさせようとして、却って劣等感の強い、強迫観念の強い人にしてしまう傾向があります。果たして、聖書はどのような立場なのでしょうか。私は、日本のキリスト教の考え方が、模範的・理想的な人間を生み出そうとして却って、聖書的でなくしてしまっている気がしています。

ヨセフは、信頼する兄たちから殺されそうになり、隊商に奴隷として売られました。エジプトまでの道程は長く、苦しいものだったでしょう。しかし、神の御手の中で守られ、侍従長の家に買い取られました。「彼の主人は、主が彼と共におられ、主が彼のすること全てを成功させてくださるのを見た。」(39・2)。そして家政を全て任せられました。

 ところが、主人の妻が誘惑し、それにのらないヨセフは、監獄に入れられました。世の中には性的誘惑は付きもので、多くの人が破滅します。しかし、ヨセフは、監獄でも「主は共におられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心に適うようにされた。」(21)。更に、監獄に監禁された献酌官長の夢を当てたけれども、2年間忘れられていました。エジプトの宰相に突然抜擢されたのは30歳でしたから、17歳から13年間艱難の連続でした。

 ヨセフは、聖書の中でも抜き出た英雄、信仰者ですが、私が感嘆するのは、ありえないほどの試練艱難の中で、信仰を通し、罪を犯さず、人格が全く変わっていって成長したことです。それを選びとして、神の主権だけに起因させるのは、聖書的ではありません。

 私たちが理解しているのは、神はどの時代においても同時であり偏在であるので、ヨセフを見ながら必要な助けを随時施し、その上で選びをしておられるということです。ヨセフが、エジプトの指導者となり、イスラエル民族をエジプトにおいて繁栄させる。そして十分な文化と教養を与えるということは、その後のイスラエル民族の成長と歴史的意義において必要なことでした。つまり、ヨセフが思慮深く、配慮に富んだ人にならなければ、神の偉大な計画は進まないのです。神は、ヨセフの成長に、歴史を掛けられたのです。

 ヨセフは「神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、・・・大いなる救いによって、あなた方を生き延びさせるためだったのです。」(45・7)。「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。」(50・20)と、歴史と世界と人の心をも支配し、見守っておられる神を諭しました。

「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。」(Ⅱ歴代16・9)。

創世記39章16~23節

  • 39:16 彼女は、ヨセフの主人が家に帰って来るまで、その上着を自分のそばに置いておいた。
  • 39:17 彼女は主人に、このように告げた。「あなたが私たちのところに連れて来た、あのヘブル人の奴隷は、私にいたずらをしようとして私のところに入って来ました。
  • 39:18 私が声をあげて叫んだので、あの男は私のそばに上着を残して、外へ逃げました。」
  • 39:19 彼の主人は、「あなたの奴隷がこのようなことを私にしました」と告げた妻のことばを聞いて、怒りに燃えた。
  • 39:20 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。
  • 39:21 しかし、【主】はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
  • 39:22 監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。
  • 39:23 監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、【主】がそれを成功させてくださったからである。

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MYoshi
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