「墓はメモリアルと誓願。」 創世記23章12~20節
ユダヤ教の墓もイスラム教の墓も土葬です。穴を掘って遺体を埋葬します。その穴が窪んだ頃、次の人が埋葬されていきます。動物に掘り起こされないために石をかぶせたりしました。次第に墓が高くなっていくこともあります。日本でも、昔は火葬されるのは罪人でした。現代日本では、基本的に火葬ですが、衛生面の理由があるようです。遺体が火葬されるのは嫌なものですが、日本人の死生観では、仏になるとは思わず、死んだら無くなると思っているからでしょう。
アブラハムは、妻サラの墓地としてマクベラにある洞穴を買おうとエフロンに申し出ます。エフロンは、洞穴だけでなく周辺の畑地を含めて、銀400シェケルで売ると言います。かなり高額を吹っ掛けられても、アブラハムは値切ることなく、「その町の門に入るすべてのヒッタイト人たちの目の前で、アブラハムの所有となった。」(18)。値切らずに高価だからこそ、人々の記憶にも記録にも残るのです。葬儀を安く済まそうという風潮がありますが、故人の尊厳を傷つけ、死を軽んじています。家族葬などは、故人の友人知人の悼みを無視し、故人の人生や業績を認めない不道徳な行為です。それは、喪主の価値観や人生観をも現わし、恥です。それが現代人なのです。
孫のヤコブは、エジプトで死にますが、息子たちに命じます。「私は私の民に加えられようとしている。私をヘテ人エフロンの畑地にあるほら穴に、私の先祖たちといっしょに葬ってくれ。そのほら穴は、カナンの地のマムレに面したマクペラの畑地にあり、アブラハムがヘテ人エフロンから私有の墓地とするために、畑地とともに買い取ったものだ。そこには、アブラハムとその妻サラとが葬られ、そこに、イサクと妻リベカも葬られ、そこに私はレアを葬った。その畑地とその中にあるほら穴は、ヘテ人たちから買ったものである。」(49・29-32)。
アブラハムは、子孫を含めての墓を用意したのであり、子も孫もそこに埋葬されることを誇りとしました。私は、クリスチャンであり、仏教の父の墓に入ることはありませんが、長男はそこを継いでくれるのでしょうか。
千葉福音キリスト教会の墓所は、正会員とその家族だけが入ることができるものです。信仰者として真摯な歩みをした正会員は、経済的負担も斟酌することが明記されています。準会員には適用されません。教会の墓に入ることができることは、信仰の誇りであり、神の国への入口なのです。墓碑に記銘されることは何という名誉なことでしょうか。
「ヨアシュの子ギデオンは幸せな晩年を過ごして死に、アビエゼル人のオフラにある父ヨアシュの墓に葬られた。」(士師8・32)。
「彼の身内の者や父の家の者たちがみな下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び上げて葬った。サムソンは二十年間イスラエルをさばいた。」(士師16・31)。ペリシテ人と戦って非業な死を遂げたサムソンを親戚は死後に労わったのです。
ダビデに忠実なバルジライは80歳にもなったので、ダビデが「あなたを養います。」(Ⅱサムエル19・33)と労わりますが、「このしもべを帰らせてください。私は自分の町で、父と母の墓の近くで死にたいのです。」(37)と辞退します。
「ダビデがサウルの骨とその子ヨナタンの骨をそこから携えて上ると、人々は、さらし者にされた者たちの骨を集めた。こうして、彼らはサウルとその子ヨナタンの骨を、ベニヤミンの地のツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬り、すべて王が命じたとおりにした。その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。」(Ⅱサム21・13.14)。ダビデは、自分の命をつけ狙ったサウルの遺骨を尊重したのです。そういう配慮が神の心に適うのです。
Ⅰ列王13章にある神の人の死と「先祖の墓には入らない。」(22)ことになった悲劇は心を打ちます。俗悪なヤロブアム王に讒言した神の人は、王から贈り物で誘惑されます。彼は、「パンを食べてはならない。水も飲んではならない。」(9)と神に告げられているのに、歳置いた預言者に「御使いが『その人にパンを食べさせ、水を飲ませよ。』と告げた」(18)と騙されて、死ぬことになりました。老預言者は神の人の遺体を自分の墓に葬ると、「私が死んだら、あの神の人の骨のそばに私の骨を納めてくれ。」(31)と告げるのです。神に告げられたことを違えた人への罰ですが、その悲劇を思い遣り悼むのです。
このように聖書は、イスラエルの人々とりわけ神の系図の人々が、先祖からの墓に入ることを願い、それを幸せとしてきたことを語ります。現代は人の死を悼むことがなくなりつつあります。また、人の人生を、功績や地位、能力や財産で評価するようになってきました。アブラハムも、イサクも、ヤコブも、ギデオンも、サムソンも未熟で罪深い人生でした。しかし、彼らは神に従い続けたのです。
葬儀も、キリスト教式ですることを希望しない人は、記録に残りません。教会墓地の埋葬も、正会員でなければ入る資格は、執事会の審議を必要とします。それらで信仰者の歩みが明らかになるように思います。
創世記23章12~20節
- 23:12 アブラハムは、その土地の人々に礼をし、
- 23:13 その土地の人々の聞いているところで、エフロンに告げた。「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことをお聞き入れください。畑地の価の銀をお支払いします。どうか私から受け取ってください。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」
- 23:14 エフロンはアブラハムに答えた。
- 23:15 「では、ご主人、私の言うことをお聞き入れください。銀四百シェケルの土地、それなら、私とあなたの間では、何ほどのこともないでしょう。どうぞ、亡くなった方を葬ってください。」
- 23:16 アブラハムはエフロンの申し出を聞き入れた。アブラハムはエフロンに、彼がヒッタイト人たちの聞いているところでつけた価の銀を支払った。それは商人の間で通用する銀四百シェケルであった。
- 23:17 こうして、マムレに面するマクペラにあるエフロンの畑地、すなわち、その畑と、畑地にある洞穴と、畑地の周りの境界線内にあるすべての木は、
- 23:18 その町の門に入るすべてのヒッタイト人たちの目の前で、アブラハムの所有となった。
- 23:19 その後アブラハムは、マムレに面するマクペラの畑地の洞穴に、妻サラを葬った。マムレはヘブロンにあり、カナンの地にある。
- 23:20 こうして、この畑地とその中にある洞穴は、ヒッタイト人たちの手から離れて、私有の墓地としてアブラハムの所有となった。
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