「他人を救ったが自分は救えない。」 マルコ15章16~32節 今週のメッセージ

復活祭は、春分の日の後の満月の次の日曜日となっていて、他の日にすることはできません。クリスマスはイエス・キリストの誕生日とされていますが、実際には季節が違うようです。冬至の日を祝うお祭りをキリスト教のものにしようとしてローマ皇帝が制定したようです。実は、イースターという名前も、ゲルマンの神話にある春の女神「エオストレ」にちなんで名づけられたようです。復活は英語でresurrectionですから、Resurrection Dayと言えば良いのですが、やはりお祭りにしているので、復活祭というと英語ではEasterとなります。キリスト教では、最も大事な祭りと言えば、復活祭です。

 旧約聖書の祭りは、過越しの祭り、ペンテコステ(七週の祭り)、仮庵の祭りです。「あなたのうちの男子はみな、年に三度、種なしパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、主が選ばれる場所で御前に出なければならない。主の前には何も持たずに出てはならない。」(申命記16・16)。祭りに出るのは義務で、献げ物を持ってくるのでした。

 祭りを守らないと、民族として神が選び守ってきた確認を子供たちに教えられず、結びつきや信仰が削がれるので、神は祭りの厳守を命じたのです。「もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、疫病が彼らに下る。これは、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を主が打つ疫病である。」(ゼカリヤ14・18)。礼拝を守らず、用があると個人的なことを優先して過ごすと、神の祝福は注がれなくなります。要するに、神の国を第一にしない人を神は祝福しないのです。それだけでなく、神の守りと祝福が注がれない人には、サタンや苦難や病気が襲ってくるのです。しかし、信仰のタガを外れた人には、それがわからずに、次第に破滅していくのです。終末は、そのようにして災害や疫病、戦争だけでなく、信仰者が惑わされる時代なのです。

 イエス様は、前もって言われていた通りに十字架に掛けられることになりました。兵士たちは、イエス様に茨の冠を編んで頭に押し付けてかぶらせました。葦の棒でイエス様の頭を叩き、唾をかけます。十字架の重さは100キロあり、ゴルゴダの刑場まで1.6キロ担がされます。イエス様は不眠であり鞭打たれています。「自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」(マタイ16・24)とはそういうことです。

「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い」(同25)とあるように、神の国に入るためには限りなく私たちが吟味されるのです。

 「クレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。」(21)という人もおります。意図せず、強引に他の人によって、信仰の道に入らされ、「イエスの十字架を無理やり背負わされ」る人は、パウロのような人です。クレネとは、北アフリカの地中海に面した都市で、「ニゲルと呼ばれるシメオン」(使徒13・1)(アンティオキアの教会の中心人物)かもしれません。彼は「アレクサンドロとルフォスの父」(21)で、「主にあって選ばれた人ルフォス」(ローマ16・13)となっています。

 イエス様は、最後の晩餐の時、「神の国で新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、決してありません。」(マルコ14・25)と言われ、「没薬を混ぜたぶどう酒を与えようとしたが、イエスはお受けにならなかった。」(23)と鎮痛作用のある没薬入りのぶどう酒を飲みませんでした。

 十字架刑の釘は、手首の骨の間、足首か、かかとの骨に打ち付けられたようです。身体の重みで肉が裂け、呼吸困難になり死ぬまでには48時間掛かることもある残虐な刑です。この状態で3時間(33)掛かり、「我が神、我が神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(34)と叫んで死にました。

 人々は、「自分を救ってみろ。」(30)、「他人は救ったが、自分は救えない。」(31)と嘲笑いました。イエス様が奇跡や癒しをされていた時は、イエス様にすがりましたが、イエス様が試練にあわれ、十字架にかけられると嘲笑うのです。人間の罪性というのは、そのように自分勝手なものです。

 イエス様は、十字架に掛からないこともできたし、天の軍勢を助けに呼ぶこともできたけれども、そうすれば、人の身代わりに罰を受けることがなくなり、人を救えなくなるのです。救いというものは、自分の罪を悔いてイエス様を救い主と信じれば救われるというほど、安易なものではありません。私自身は、だからこそ十字架の道を歩もうとしています。聖書の教えを都合の良いように解釈したら、救いは得られません。救うのは、神の側に選択権があるのです。

マルコ15章16~32節

  • 15:16 兵士たちは、イエスを中庭に、すなわち、総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。
  • 15:17 そして、イエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、
  • 15:18 それから、「ユダヤ人の王様、万歳」と叫んで敬礼し始めた。
  • 15:19 また、葦の棒でイエスの頭をたたき、唾をかけ、ひざまずいて拝んだ。
  • 15:20 彼らはイエスをからかってから、紫の衣を脱がせて、元の衣を着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。
  • 15:21 兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。
  • 15:22 彼らはイエスを、ゴルゴタという所(訳すと、どくろの場所)に連れて行った。
  • 15:23 彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒を与えようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
  • 15:24 それから、彼らはイエスを十字架につけた。そして、くじを引いて、だれが何を取るかを決め、イエスの衣を分けた。
  • 15:25 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
  • 15:26 イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
  • 15:27 彼らは、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右に、一人は左に、十字架につけた。
  • 15:28 【本節欠如】
  • 15:29 通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おい、神殿を壊して三日で建てる人よ。
  • 15:30 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」
  • 15:31 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを嘲って言った。「他人は救ったが、自分は救えない。
  • 15:32 キリスト、イスラエルの王に、今、十字架から降りてもらおう。それを見たら信じよう。」また、一緒に十字架につけられていた者たちもイエスをののしった。

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MYoshi
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