「死者の中からの復活に達する。」 ピリピ3章10~21節
日本では復活祭は殆ど取り上げられません。クリスマスはイベントとして成り立ちますが、キリスト・イエスの復活を祝うということは、形式的な宗教者である日本人には荷が重いのかもしれません。
「天国」という言葉は安易に使われています。天国が、死後誰でも行く世界と最近はされているようです。昔は、地獄が語られており、天国や極楽は言われていなかったのに、世相の移ろいでしょうか。この世の人生が100年としても天国は永遠ですから、そこに安易に住めると考える程、楽天的なものはありません。私は、サタンの惑わしであり、地上の生活を誠実に生きることから目を離すものであると思っています。
最近、多くの方々が、ご自分の老後について、楽観的に考え、何も準備をしていないことに気が付きました。健康についても同様で、不健康になってからでは遅く、また高齢になると治しがたいのに、いい加減な対応で、突然動けなくなったり、死んだりしています。資金管理もいい加減で、美食や娯楽に浪費して、経済破綻する人が多くおります。私は、これもサタンの惑わしであると考えております。
バイアスとは、「偏りや偏見、先入観を意味し、認識の歪みや思考の偏りを表す言葉」ですが、現代は情報が多大かつ多様になり、また、意図的に操作して人々を洗脳することが行われています。それは、先週お話ししたSDGsにしても、内容は立派でありながら、効果的な利益獲得手段になっており、コロナワクチンなどは、日本だけで16兆円が投じられ、一部の人々に莫大な利益をもたらしています。それは貧しい人々に多くの犠牲が強いられ、また隠れたワクチン被害をもたらしているのです。
キリストの福音とは、「民を教え、イエスを例にあげて死者の中からの復活を宣べ伝え」(使徒4・2)ることであり、「使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。」(同33)
クリスチャンで、この復活の凄さをわからない人は、復活も救いも神の国も、バイアスがかかっており、救いの道から外れてしまったか、外れかかっている人です。
私が中3の時、吹奏楽部から抜けた時に、強引に私の手を引っ張り部室に連れ戻し、演奏に参加させた品川君は恩人です。妻が信仰から離された時に、鹿島まで船津先生と共に親の説得に出向いてくださった大島教授も恩人です。このように信仰から離れた人々を引き戻す人はいないでしょうか。
パウロは、「キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」(10)と叫びます。イエス様の復活という神の顕現、永遠のいのちの実証を知って、自らも十字架の苦しみに預かり、伝道する中で死ぬような体験をして、そこからいのちを得ることをつかみたいというのです。
実際、パウロはリステラで伝道し、生まれつき足が動かない人を癒した後、群衆に石打にされて「彼らはパウロが死んだものと思って、町の外に引きずり出した。しかし、弟子たちがパウロを囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。」(使徒14・19.20)。この時、パウロは死んでおり、「パラダイスに引き上げられて、言い現わすこともできない、人間が語ることを許されていない言葉を聞きました。」(Ⅱコリント12・4)。そういう体験と信仰をもって、パウロは、「わたしはキリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。」(同12・10)という信仰の奥義を身に付けたのです。
終末とは、信仰者が何回も試みを受け、信仰の破船に遭う時です。「私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。」(18.19)。なぜ、パウロは涙を流すのでしょうか。それは、過去に信仰を共にしてきた人たちが、今は「十字架の敵」として、この世の打算に惑わされて歩んでいるからです。礼拝を守ることを軽んじ、次第に聖徒の交わりから離れていきます。「その人たちの最後は滅びです。」恐ろしいことです。
「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。」そのようにして、この終末を生き抜くことが大事です。
「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」(マタイ10・22)。
「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」(同24・12.13)。
「キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。」(ピリピ3・21)
ピリピ3章10~21節
- 3:10 私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、
- 3:11 何とかして死者の中からの復活に達したいのです。
- 3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
- 3:13 兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、
- 3:14 キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
- 3:15 ですから、大人である人はみな、このように考えましょう。もしも、あなたがたが何か違う考え方をしているなら、そのことも神があなたがたに明らかにしてくださいます。
- 3:16 ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです。
- 3:17 兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
- 3:18 というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
- 3:19 その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。
- 3:20 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
- 3:21 キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。
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