「福音に相応しく生活する。」 ピリピ1章27~30節

2021年は新型コロナウイルスによって左右された年でした。世界的に活動が停滞し、経済、生活、宗教などに大きな影響をもたらしました。豊かな国となった日本も、30年間経済規模の拡大が停滞した結果、多様な弊害が出てきました。日本を支え引っ張ってきた大企業が勢いを無くし、街には商店が無くなり、貧富の格差も広がっています。産業はネットやIT関係だけが残るものの、世界的には後塵を拝しています。

感染を恐れて、交流や外出を控えた為に、人心も揺らぎ、健康や治安も危ういものとなってきています。今の若者、子供たちの将来は経済的にも社会的にも政治的にも非常に不安定になってくるでしょう。その上に、富士山の噴火や大地震、風水害などが起こったら悲劇となります。そして、それが終末というものなのです。

今年の聖句に関わるピリピ書も、「キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現わされますように。」(ピリピ1・10.11)という前提で記されています。終末の試練の日だからこそ、喧騒と争いに巻き込まれないように生きて、義の実を実らせる必要があるのです。

終末には、教会が混乱と淘汰の中にあえぐことになります。そして、「彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。」(28)となります。つまり、滅ぶべき人は教会の活動を妨げ攻撃し、救われるべき人は、信仰と教会生活を守るのです。「これは神から出たことです。」(28)。信仰者は、「キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」(29)とあるように、多くの迫害、試練に出会うのですが、それは信仰者を聖くし、純真なものにして神の国に相応しいものにするためなのです。

聖研でイスラエルの王となったヤロブアムが罰せられるところを学びました。「あなたは、わたしのしもべダビデのようではなかった。ダビデは、わたしの命令を守り、心を尽くしてわたしに従い、ただ、わたしの見る目にかなったことだけを行った。」(Ⅰ列王14・8)。ダビデはご存知のように多くの罪を犯すのですが、ことごとく悔い改め、そして人の目や自分の感情よりも神に従うことを選んだのでした。神は、悔い改めたダビデの罪を無きもののように赦して、祝福をしたのです。ヤロブアムは預言者に安易な贈り物をして事を穏便に図ろうとし、悔い改めなかったのです。

ヒゼキヤ王に預言者イザヤが「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない。」(Ⅱ列王20・1)と神のことばを告げた時、ヒゼキヤは大声で泣いて神に助けを求めました。イザヤは「あなたの父ダビデの神、主はこう言われます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたを癒す。・・・わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加えよう。』」(20・5.6)と赦しているのです。

「福音に生きる。」とは、神の赦しと恵みを求めて生きるということです。ダビデは何度も罪を犯しているのに悔い改めがしっかりしているので「ダビデの神」と神は自分を示しているのです。自分を正当化する者に神の義はなく、神の祝福も赦しもありません。

「あなたがたは、私について先に見たこと、また、私についていま聞いているのと同じ戦いを経験しているのです。」(30)。戦いでは、孤立したら敵に殺されます。油断したら、負傷し、死ぬことになります。子供たちや愚か者は、簡単に怒り、興奮し、反抗します。信仰者が腹を立てたり、人を憎んだりしたら、たちどころにサタンが罠を張って私たちを躓かせ信仰から引き離そうとします。

子供を育てる時、若者を教育する時に、決して興奮しないこと、親や指導者に反抗しないことを身に着けさせなければなりません。それができなくて社会で働けず、人間関係も孤立する人が最近多くなっています。そして、事件を起こしているのです。驚くべきことに、彼らは自分の罪や犯罪を正当化しているのです。

ピリピ書は喜びの書と言われています。喜ぶことは「あなたがたの安全のためにもなります。」(ピリピ3・1)。「犬どもに気を付けなさい。悪い働き人に気を付けなさい。肉体だけの割礼の者に気を付けなさい。」(3・2)。肉体だけの割礼の者とは、自らの罪性をわきまえておらず、悔い改めのできない人々のことです。

終末には試練と迫害を覚悟し、貧しく困難を覚悟し、欺く人や攻撃する人が迫ってくることを覚悟し、そして喜びの中で生きるのです。

ピリピ1章27~30節

  • 1:27 ただ一つ。キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、
  • 1:28 また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。これは神から出たことです。
  • 1:29 あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。
  • 1:30 あなたがたは、私について先に見たこと、また、私についていま聞いているのと同じ戦いを経験しているのです。