「私たちは旅人、寄留者。」 Ⅰペテロ2章11~20節

「在留異国人」は新改訳2017からは「寄留者」と訳されるようになりました。出エジプトの時に、「入り混じってきた多くの異国人」(出12・38)が共に出たのが由来でしょう。この寄留者たちは、「割礼を受け」れば、「この国に生まれた者と同じになる。」(12・48)とされましたが、カナン入国後に相続地を得ることはできませんでした。「居留者と雇い人」(12・45)は、別扱いでした。

「三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を全部持ち出し、あなたの町囲みのうちに置いておかなければならない。あなたのうちにあって相続地の割り当てのないレビ人や、あなたの町囲みのうちにいる寄留者や、孤児や、やもめが来て、食べ、満ち足りるであろう。それはあなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。」(申命記14章27~29節)。

日本の外国人対応は、金持ちや能力のある人が優遇されていますが、これは日本人同士の差別意識にも見られます。「寄留者、孤児、やもめ」を大事にし助けることによってこそ、神の祝福があるのです。教会の働きもこのようなことができるようになることが理想です。今のところは、拡大すると一部の人だけの献身と犠牲になるので、個人的に行ってください。

また、「レビ人」を意味する牧師らを養うことが日本の教会では十分にできていません。それで牧師の子ども達も含めて牧師になり手がなく、教会に神の祝福が十分ではないのです。私達夫婦は、それらを全て覚悟してきましたが、私の子どもたちには、そのストレスは耐えられなかったようです。

「あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは寄留者や孤児、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主があなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは寄留者や孤児、やもめのものとしなければならない。ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。それは寄留者や孤児、やもめのものとしなければならない。」(申命記24・19-21)。現代日本人は、ミスなく仕事をしようとし過ぎるので、神の祝福を失います。自分の働きに関心があるのでしょう。裕福な人に物をあげなくてもよいのですが、貧しい人に物をあげたり助けたりする習慣を身に着けたいものです。

「たましいに戦いを挑む肉の欲」とは、思い通りに生きようとする思いです。それで、身近な人にも腹が立ち、自分の損を惜しみ、計算と都合で効率的に行動するのです。ゆとりのない生活は健康にも支障を来たし、短命となります。

「立派な行い」で何を考えるでしょうか。マタイ5―7章を読めば、自分に都合の良いことをすることではなく、自分に残す為でもなく、自分を良いように見せかけることでもなく、寄留者として地上に残すことなく、与えて生きることです。

「従いなさい。」「意地悪な主人にも従いなさい。」。確かな人格が形成されていないと従えないものです。自分が納得したら従うのは、従うとは言いません。自分勝手な人が従えないのです。「自由な者として、神のしもべとして」でなければ従えないものです。

「すべての人を敬い」とは、人を選り好みしないのです。立派な人だからとか、クリスチャンだから、などと区別して敬うのは胡散臭いですね。見た目で人を区別するのも、卑しいことです。

「悲しみに耐える」とは、耐えていることを人に話さないことです。「苦しい、悲しい、辛い。」と口にするならば、サタンが寄ってきて更に罠にかけようとします。じっと我慢して祈るなら、「それは神に喜ばれることです。」「神の御前」に生きるからこそ、耐えられるのです。

「善を行って苦しみを受け」、腹を立てていたならば、それは「人に見せる善行」(マタイ6・1)であって、「父から報いを受けられません。」

旅の恥はかき捨て、などと言いますが、「地上では旅人であり、寄留者であることを告白して」(へブル11・13)、この世での己の弱さ、罪深さ、未熟さを受け入れて、自らの時間、富、力、能力を与えていこうではありませんか。「自分の為に地上に宝を貯えるのはやめなさい。」(マタイ6・19)。

旅をしてもお金を惜しみ、時を惜しみ、効率よく名所を巡る人がいます。私は旅が好きで、いろいろな所に行きますが、殆ど華やかで騒がしい観光地は行きません。歴史を見るのや、人の生活・文化を知るのが楽しみです。時間を掛け、お金を掛けて、ゆっくりと観察するのです。

この人生は、信仰者にとっては、天国への旅路です。急いだり、時を惜しむと道を間違えます。家族と、友と、弥次喜多道中をしようではありませんか。

Ⅰペテロ2章11~20節

  • 2:11 愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
  • 2:12 異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります。
  • 2:13 人が立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、
  • 2:14 あるいは、悪を行う者を罰して善を行う者をほめるために、王から遣わされた総督であっても、従いなさい。
  • 2:15 善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることは、神のみこころだからです。
  • 2:16 自由な者として、しかもその自由を悪の言い訳にせず、神のしもべとして従いなさい。
  • 2:17 すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。
  • 2:18 しもべたちよ、敬意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。
  • 2:19 もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。
  • 2:20 罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。