「冷たいか熱いかであって欲しい。」 黙示録3章14~22節

水が腐るのが気になる季節です。水道水は塩素の効果があり、常温で3日、冷蔵庫で10日も保存できるのですが、浄水器を通すと却って雑菌の繁殖が早く、天然水も同様に早いようです。製氷器の水の腐敗には気を付けてください。氷は腐らないので保存が効きますが、その中に菌があればそのまま保存されるので、南極の氷などが昔の気候の調査などに使われるのです。

30年くらい前にこの教会の研修会の講師が、信仰は零度の氷から100度の沸騰したお湯のようなものであると説明したことを忘れられません。1gの水を1℃上げるには、1気圧の下では1カロリーが必要ですが、0度の氷を0度の水にするには同じ条件で80カロリーが必要です。つまり、1gの氷を解かすのと、零度の水を80度にするのとは同じ熱量ということです。また、100度の水が水蒸気になるには約540カロリーが必要です。

その講師は、氷が水になるには大変な熱量がいるように、それは未信者が信者になることの大変さのようなものですと語りました。更に、信者は零度の水から100度の水のように多様な温度差があり、信仰の熱心さの違いがあるけれども、沸騰して水蒸気になるのは献身して牧師になることのようなものだと伝えました。献身するということは0度の水が100度になる5倍以上の熱量が必要だと語ったのです。

「生ぬるい」と感じる水の温度は、体温+2~3度くらいだそうです。30度の水が冷たく感じるのは水が体温を奪うからで、30度の空気は身体から熱を奪わず閉じ込めてしまうから暑いのです。風があると涼しいのは、身体の周りの空気を逃がして体温を下げるからだそうです。

イエス様が、「あなたは冷たくもなく、熱くもない。」(15)と言われたのは、「他の人に影響を与えない」ということでしょう。「流水腐らず、戸枢螻せず」(りゅうすいくさらず、こすうろうせず)とありますが、「常に流れている水は腐らず、常に開閉している戸は虫に食われることがないということ」から、「常に活動している者は、停滞したり腐ることはない。」という教えになります。

人と交流しないで過ごす人は、「自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っている」(17)と勝手に生きています。自信がなかったり、不器用だったり、付き合い下手だったりすると、人を交流しない方が楽だと感じるようです。しかし、「実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。」と神は見抜きます。

エレミヤ書で「いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜めを自分たちのために掘った。」(エレミヤ2・13)と神が責めますが、泉からは水が湧き出ますが、それは神が与えるものであり、水溜は人が造ったものです。その水も実は天からのものなのですが、合理的で思い通りになる方法を人は選ぶのです。そして、その水を溜めておくのです。水を溜めれば腐ります。自分を豊かにしようとして人に流さない人は腐っていくのです。

「わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。」(19)。傲慢になると、試練があっても、苦しみや悲しみがあっても、悔い改めないで頑なになるばかりです。

「わたしは戸の外に立ってたたいている。」(20)。良いところしか見せたくない見栄を持っていると、人に会いたくなくなります。人を非難し攻撃する人は、自分もそう思われていると思い込み孤立していきます。電話が鳴っても出ようとしない人、メールが来ても見ない人、ラインも既読になるのが嫌で開けない人、宅配が来ても出ない人。神が「叱ったり懲らしめたりする」前に、崩壊している人が多くなってきました。

失意の時に、家族や友達から声を掛けられると嬉しいものです。私は妻が、私の顔を見るとにっこり笑ってくれるのにどれだけ励まされてきたことでしょう。キリストの愛と妻の優しさがなかったら、私は孤独な頑固爺としてのたれ死んでいたかもしれません。

イエス様は、「わたしは戸の外に立って」叩き続けています。中3の時、ブラバンが嫌になって辞めた私を、品川君が強引に部室に引っ張って行きました。決して私を離さず、力負けして練習をしている演奏室に入り、そして続けることになりました。生涯の恩人です。イエス様に代わる信仰者が、心の傷ついた人々や孤立している人々の心の戸を叩き続ける必要があります。そして、共に食事をし、交流をするのです。

「勝利を得る者」(21)とは誰でしょう。熱くなって人を愛し、氷の心を解凍し、温かくしていった人のことです。人を愛すには熱量が必要です。「 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。」(ローマ12・9-12)

黙示録3章14~22節

  • 3:14 また、ラオディキアにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、確かで真実な証人、神による創造の源である方がこう言われる──。
  • 3:15 わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
  • 3:16 そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す。
  • 3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。
  • 3:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買い、あなたの裸の恥をあらわにしないために着る白い衣を買い、目が見えるようになるために目に塗る目薬を買いなさい。
  • 3:19 わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。
  • 3:20 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
  • 3:21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせる。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
  • 3:22 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』」