「時は緊迫せり。」黙示録22章10~12節 櫻井圀郎協力牧師
Ⅰ 時は緊迫。基督、即座に来臨。
「時は緊迫せり」と言いますが、現代日本には緊迫の危機意識が欠けています。しかし、基督は「我即座に行かん」とさえ言うのです。
基督の再臨です。基督の初臨では、贖罪がなされ、罪人が義化されました。基督の再臨を迎える今、義人とされた基督者には、基督に倣う聖化が求められています。現代の基督者は聖化を忘れてしまったかのようです。これも終末現象でしょう。しかし、基督の再臨は聖化判定の時でもあります。
漫然とそのまま進むと、必ずや怒涛の大波にのまれ、強烈な暴風に晒され、或いは海底噴火に遭遇し、もしかしたら巨大タコや巨大イカに襲われ、あるいはとんでもない怪獣が出現するかもしれません。その前兆です。「前兆を見たら直ちに行動せよ」、それは基督の残された言葉でもあります。
Ⅱ 悪に悪、善に善。相応の報酬。
「悪の者は更に悪行せよ。穢す者は更に穢せ。正義の者は更に正義なれ。聖なる者は更に聖たれ」が御言葉です。注意していただきたいのは、「悪者よ、悔い改めよ」とか、「穢す者よ、身を浄めよ」ではないということです。もはや、悔い改めや福音伝道の時期ではないのでしょう。
「悪に耽る者は、どんどん悪に耽れば良い」と言うのです。神を信ぜず、聖俗の区別も分からない者に、今更、「身を浄めよ」「神を信ぜよ」とは言わず、「どんどん好きに悪事・穢事を行えば良い」と言うのです。
「もはや手遅れ」という宣告です。怖いですねえ。神の言葉は、悪者を甘やかし、不信者に媚を売ることはしないのです。悪者には悪者に対し、冒涜者には冒涜者に対する正当な対応をするのです。それこそが正義でしょう。
対して、「正義の者は、ここで諦めずに、さらに正義に進め」「聖なる者は、さらに聖化の道を歩め」と言います。「正義」とは、神との関係における正しい関係であり、義人ということです。義人のスタートラインは基督信仰による義化ですが、それは最低ラインです。
「聖なる者」も同様です。基督者は、基督と一体であり、聖霊が内住する聖霊の宮ですから、「聖なる者」です。が、それに座してはいけないのです。どんどん聖化を進めることは信者の義務です。
悪を行う、穢しを行う、正義を行う、聖化に歩む……、すべて強制ではありません。自分で判断し、自分の意思で決し、自分の力で実行するのです。自分の意思決定です。
行いに不相応に良い報酬が与えられることもありませんし、行いに不相応に悪い報酬が与えられることもありません。基督の報酬の究極は「天国か地獄か」ということなのでしょうが、天国といっても、各人の行いに応じたものである以上、一律ではありえません。天国にも数え切れないほどの差異や違いがあり、程度や段階があり、大小、強弱、広狭、高低などがあるほか、役割や担当などの違いもあるのでしょう。 地獄も然りです。
Ⅲ 阿吽の基督、因果一切の基督。
「我はアルファかつオメガなり」。日本語五十音で言えば、「あ」と「ん」です。梵語では「阿」と「吽」です。「あ」は、単に文字の最初というだけではなく、それに続く一切の文字の本源であり、一切の文字を内蔵していると考えられます。その結末が「ん」です。アルファを本源、オメガを結末としています。
基督は万物の本源です。万物は基督にあって創造されたのです。同時に、基督は世界の結末です。基督は原因であり、結果なのです。因果もまた一切が基督にあるのです。
世界は基督の審判によって結末されます。世界は意思のない偶然の産物ではなく、神の意思で創造され、基督の審判終えるのです。その最後の審判に、全ての人間は被告として召喚されて出生から死亡までの一切の行為について審議され、評価され、判断されます。
全ての人間は他の全ての人間の審判に際して、審判長基督に告発し、弁明し、証言でき、最終的な是非が断じられます。
今、時は切迫しています。世の終わりが近い将来に予測されるなら、自分にできることを尽くすというのは信者であれ未信者であれ共通です。しかし、次に、何を為すかは、信者と未信者が分かれます。
未信者であれば、好きなことをし、美味しい物を食べておこうとなるでしょうか。しかし、信者であれば、今ではなく、その先の自己の立場を考えるでしょう。
「明日が世界の終わりなら、今日、何をするか?」と問われた宗教改革者のルターは、「私は今日、林檎の木を植える」と答えたと伝えられています。地球最後の日にも微動だにしない、流石の対応です。
己が身を整え、来るべき終末に備えたいと思います。
黙示録22章10~12節
- 22:10 時は緊迫せり。
- 22:11 悪の者は更に悪行せよ。穢す者は更に穢せ。
- 正義の者は更に正義なれ。聖なる者は更に聖たれ。
- 22:12 見よ。我即座に行かん。我が報酬、我有す。報い、各々の行いに応ず。
- 22:13 我はアルファかつオメガなり。本源かつ結末なり。最初かつ最後なり。
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