「神に私は訴える。」エレミヤ20章7~12節

誰にも試練はありますが、試練によってその人の本性が現れます。うまくいかないことに不満や不平をもらし、攻撃的になったり、悲観的になったりすることによって、自らが軽薄な人間であることを示してしまいます。逆に、どんな時にも柔和であり、苦難や災いを受け留め、耐えて生きる人は、幸せに生きることができます。

信仰者に政治は無関係だという人は愚かな人です。賢明に生きる為には、社会の推移を分析し、愚か者の罠や攻撃に陥らないように注意していなければなりません。争いごとや難しいことには関わらないようにしたいと逃げている人こそが、操られるのです。時代は、既に終末に入っています。愚かな人はパニックを起こします。信仰者は、全ての不幸と不具合を覚悟すれば恐れることはありません。

エレミヤの時代は、幼い8歳で王となり、周囲の信仰者の支えによって父アモンや祖父マナセの悪政と偶像崇拝の退廃から回復させたヨシヤ王の時代です。アッシリヤの弱体の幸運に恵まれて束の間の平和を得た人々は直ぐに堕落し、「この時代の人々よ。主のことばに心せよ。」(2・31)とのエレミヤの預言に耳を貸しません。「『私は罪を犯さなかった』というから、今、わたしはあなたをさばく。」(2・35)と警告します。

ヨシヤ王は調子に乗り、エジプトの王ネコがアッシリヤを打ちに出てきた時に迎え撃ち簡単に殺されてしまいます(Ⅱ歴代35・21)。この為に南ユダは独立を失い、次に王となったエホアハズをエジプトに捕虜とします。次の王エホヤキンは「主の前に悪を行った。」(36・5)。「ユダの王ヨシヤの第十三年から今日まで、この二十三年間、私に主のことばがあり、私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞かなかった。」(エレミヤ25・3)とエレミヤは嘆いています。

その原因は、都合の良いことを言う偽預言者でした。「見よ。わたしは偽りの夢を預言する者たちの敵となる。──主の御告げ──彼らは、偽りと自慢話をわたしの民に述べて惑わしている。わたしは彼らを遣わさず、彼らに命じもしなかった。彼らはこの民にとって、何の役にも立ちはしない。」(エレミヤ23・32)。

そればかりでなく、「祭司であり、主の宮のつかさ、監督者であるイメルの子パシュフルは、…預言者エレミヤを打ち、彼を主の宮にある上のベニヤミンの門にある足かせにつないだ。」(20・1.2)のです。同じように主のことばを預言したウリヤは、エジプトに逃げたのに連れ帰らされ、エホヤキム王によって剣で殺されます(26・20-23)

エレミヤは嘆きます。しかし、預言しないでいることはできないのです。「私への主のみことばが、一日中、そしりとなり、笑いぐさとなるのです。私は、『主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい』と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。」(20・8.9)。

 人間は消極的になると罪を犯します。恐れは、黙ってもいろいろな情報から心に入りこんで、それを放置すると感染症のように蔓延して信仰を失います。エレミヤを足かせに繋いだパシュルに対して、「翌日になって、パシュフルがエレミヤを足かせから解いたとき、エレミヤは彼に言った。「【主】はあなたの名をパシュフルではなくて、『恐れが回りにある』と呼ばれる。」(20・3)として、恐れがあるからエレミヤに対して攻撃的になるのだと指摘します。

 聖書を読むとか祈るとか、自分の心に信仰を偽る行為をしても、心を吟味して、恐れや否定的な気持ちを除いて、神への希望に置き換えない人は、パシュフルのように人生を滅ぼします。

 終末の艱難は、まだ序の口です。病気を恐れた人は病気になるでしょう。お金の心配をした人は、貧しさに苦しむでしょう。職を失うことを恐れた人は、仕事もできなくなり、生活を破綻させていくでしょう。確かに、経済は世界恐慌のようになって、企業は破産していくでしょう。今回のウィルス対策のようなことをしていたら、政府も地方も財政が破綻し、福祉はおざなりになります。税金は上がり、物価も上がり、収入はなくなり、天災、人災、疫病は人々を苦しめます。

 エレミヤを泥の穴に投げ込んだ(38・6)ゼデキヤ王は目を潰されて奴隷となり、「おもだった人たちもみな虐殺」(39・6.7)され、エレミヤはバビロンのネブカデネザル王によって「彼を連れ出し、目をかけてやれ。何も悪いことをするな。ただ、彼があなたに語るとおりに、彼にせよ。」(39・12)と慰められるのでした。

 確かに、「正しい者を調べ、思いと心を見ておられる万軍の主よ。あなたが彼らに復讐されるのを私に見せてください。あなたに私の訴えを打ち明けたのですから。」(12)となるのです。信仰をなおざりにする者は、神に守られることはないのです。

エレミヤ20章7~12節

  • 20:7 【主】よ。あなたが私を惑わしたので、私はあなたに惑わされました。あなたは私をつかみ、私を思いのままにしました。私は一日中、物笑いとなり、みなが私をあざけります。
  • 20:8 私は、語るごとに、わめき、「暴虐だ。暴行だ」と叫ばなければなりません。私への【主】のみことばが、一日中、そしりとなり、笑いぐさとなるのです。
  • 20:9 私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。
  • 20:10 私が多くの人のささやきを聞いたからです。「恐れが回りにあるぞ。訴えよ。われわれもあいつを訴えよう。」私の親しい者もみな、私のつまずくのを待ちもうけています。「たぶん、彼は惑わされるから、われわれが彼に勝って、復讐してやろう」と。
  • 20:11 しかし、【主】は私とともにあって、横暴な勇士のようです。ですから、私を追う者たちは、つまずいて、勝つことはできません。彼らは成功しないので、大いに恥をかき、それが忘れられない永久の恥となりましょう。
  • 20:12 正しい者を調べ、思いと心を見ておられる万軍の【主】よ。あなたが彼らに復讐されるのを私に見せてください。あなたに私の訴えを打ち明けたのですから。