「悔い改めない人々。」 エレミヤ 8章4~12節

イスラエル民族は、神の選びの民としてエジプトでの奴隷生活から解放され、40年間の荒野での訓練の後にカナン地方に定住しました。それは、父祖アブラハムに約束された地でした。長年の他民族とのの争いの中で守られたのは、ひとえに神の力でした。

しかし、選ばれて救われ、安逸の地を手に入れた彼らは、次第に堕落していきました。イスラエル北王国はアッシリアに連れてゆかれ滅び、南ユダ王国もバビロニア帝国によって滅ぼされようとしていました。

エレミヤは、「あなたがたの生き方と行いを改めよ。そうすれば、わたしはあなた方をこの場所に住まわせる。」(エレミヤ7・3)との主の警告を伝えます。「しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、頑なで悪い心のはかりごとによって歩み、前進どころか後退した。」(同24)。

鳥も動物も、飢饉や災害の時には離れても、「帰ってくるものではないか。」(8・4)。しかし、人間には知性があり、意思があり、罪もあるので、帰ってくるとは限らず、失敗や不幸・災害があっても、悔い改めるとは限らないのです。一度、信仰の道を外れ、正しい生活から離れると、人間というものは意地があり、罪があるので、自らを正当化して、「悪を悔いる者は、一人もいない。」(6)となるのです。

年末になると総会の作成もあって、教会員名簿を見直しながら、お祈りします。名簿にある145名を確認すると、教会生活から離れて戻ってきた人は1人もおりません。むろん、病気や仕事の都合で来れなくなった人は別ですが、人に躓いたり、信仰を軽んじたり、教会を批判した人が戻ることはありませでした。それでも、教会が戻ることを祈り続け願い続けていることは当然です。

人が信仰者になるのを、多くの人は自分がそれを選び求めたからだと考えています。ところが、聖書は、「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。」(ヨハネ15・16)と教えています。実際、神の恵みと選びによって救われたことがわからない人々が、信仰から離れています。そして、自分の意思によって信仰に戻ることができると考えているのです。つまり、信仰を人間の業と誤解しているのです。

結婚は、「神の教えに従って、妻(夫)としての分を果たし、常に夫(妻)を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、その健康の時も、病の時も、・・・いのちの日の限り、あなたの夫に対して堅く節操を守ることを誓います。」

と誓うことによって成立します。洗礼もまた信仰告白と誓いによって成立します。「私はあなたがたを清純な処女として、一人の夫キリストに献げるために婚約させた」(Ⅱコリント11・2)とあるように、信仰者は教会としてキリストの花嫁になるのです。ヨセフは、マリヤと婚約していたので、節制を守ったのです。クリスチャンが、花嫁としての選びを軽んじ、信仰をなおざりにしたら、その選びは解除されるのです。

現代の風潮は、誓いや契約を軽んじます。結婚の誓いを、「嫌いになった」「収入が低い」「性格が悪い」「面倒くさい」などの理由で簡単に破り離婚する人が多くなっています。神の前での誓いを破棄すれば、その人の人生に神の祝福はなくなります。

犯罪から自分や他人を守る為にやむを得ずに行った行為を正当防衛と言いますが、その要件は非常に厳しいものです。神の前に誓ったことを破ることなど、どのような理由も通らないのです。

意思の弱い、誘惑に弱い、自我の強い人ほど、罪に負け、それを正当化します。しかし、神への誓いを守ろうとするには、絶えず祈り、全てのことを神の守りと聖定の中にあると信じ、みことばによってしっかりと教えられなければなりません。

実際のところ、信者といえども、それほど意思が強くなく、誘惑に弱く、罪を犯すのです。ところが、信者は、そのような時に悔い改めるのです。そして、悔い改めの結果として聖められ、祈るようになり、みことばによって教えられるのです。究極的には、信者か否かは、悔い改めをするか否かによって識別されるのです。

「それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」(ヨハネ15・16)という選びに続くみことばは、信者であり続けることによって実現します。

信仰を人間の意思や努力で保つことができると考えてはいけません。悔い改めず、「全く恥じもせず、辱めが何であるかも知らない。だから彼らは、倒れる者の中に倒れ、自分の刑罰の時に、よろめき倒れる。」(8・12)となってはいけません。

エレミヤ 8章4~12節

  • 8:4 あなたは、彼らに言え。『【主】はこう言われる。人は倒れたら、起き上がるものではないか。離れたら、帰って来るものではないか。
  • 8:5 なぜ、この民エルサレムは、背信者となり、いつまでも背信を続けているのか。彼らは偽りを握りしめ、帰って来ることを拒む。
  • 8:6 わたしは気をつけて聞いたが、彼らは正しくないことを語り、「私は何ということをしたのか」と言って自分の悪を悔いる者は、一人もいない。彼らはみな、戦いに突き進む馬のように、自分の走路に走り去る。
  • 8:7 空のこうのとりも、自分の季節を知っている。山鳩も燕も鶴も、自分の帰る時を守る。しかし、わが民は【主】の定めを知らない。
  • 8:8 どうして、あなたがたは、「私たちは知恵ある者、私たちには【主】の律法がある」と言えるのか。だが、見よ、書記たちの偽りの筆が、それを偽りにしてしまった。
  • 8:9 知恵ある者たちは恥を見、うろたえて、捕らえられる。見よ。【主】のことばを退けたからには、彼らに何の知恵があろうか。
  • 8:10 それゆえ、わたしは彼らの妻を他人に、彼らの畑を侵略者に与える。なぜなら、身分の低い者から高い者まで、みな利得を貪り、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。
  • 8:11 彼らは、わたしの民の傷を簡単に手当てし、平安がないのに、「平安だ、平安だ」と言っている。
  • 8:12 彼らは忌み嫌うべきことをして、恥を見たか。全く恥じもせず、辱めが何であるかも知らない。だから彼らは、倒れる者の中に倒れ、自分の刑罰の時に、よろめき倒れる。──【主】は言われる。