「神の任命と負うべき責任。」 Ⅱ歴代誌1章7~13節

昨夜、イギリスではチャールズ3世が戴冠しました。王や指導者は、自らの権威の源を神に帰さなければその立場を維持できません。強いから王になったというのであれば、もっと強い者が王になることができることになるからです。しかし、王である為には、王としての職務を果たす責任があります。エリザベス女王は、国の為の献身的な歩みによって国民に愛され、尊敬されてきました。しかし、息子チャールズは、不倫の末にダイアナ妃と離婚し、死なせることになって、王室存続を危うくしました。現在は、質素に王の職務を守ろうとしていますが、その莫大な財産はうらやましがられるだけです。そして、その次男ヘンリー王子が、自分の特権を利用して莫大な財産を稼ぎ、誇り高ぶって王室の存続を危うくさせています。日本でも、皇室を守り維持するのは大変なことです。ヨーロッパのような王家や貴族の多い国でも後継者教育は大変なのに、東の果ての日本では、親しくする人々が少ないので、どうしても閉鎖的管理的になってしまいます。

チャールズ3世も聖油を注がれましたが、それは神の祝福を意味し、「主に油注がれた者」(使徒4・26)とは「『キリスト』と呼ばれているイエス」(マタイ27・17)を意味します。人が、その立場、職業、結婚、親戚、環境、地域に生きるのも、神の御手の中にあると信じるか否かが、王室ならずとも、その人の生涯を決め、幸不幸を左右します。

結婚について、「神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません。」(マタイ19・6)と牧師は宣言します。多くの場合、引き離すのは、当人たち同士です。結婚に際して誓った伴侶を「自分と同様に愛する」(エペソ5・33)の誓いを破り、人生を破壊していくのです。王という立場を必死に守ろうとしてもがいている王族を非難否定しながら、自らは夫・妻という立場を守ることに忠実でないのです。そのようにして、神の祝福から外れ、呪いの中に過ごすことになります。

「子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。」(エペソ6・1)とあります。それは、子ども自身に対する命令です。親に従うかどうか、それは子どもたち自身の人生を決めるのです。別に、良い親だから従う、悪い親には従わない、などではありません。自分中心の損得思考が、神の祝福も、道徳も崩壊させるのです。子どもには、親に従うことを教えることが大事です。親は、良い親ではないから子どもが従わないのだ、などと考えてはいけません。むろん、子どもを従順に育てなければ、親も悲劇となります。

身分も職業も、神が人に与えた挑戦です。「奴隷であっても自由人であっても、良いことを行えば、それぞれ主から報いを受けることを、あなたがたは知っています。」(エペソ6・8)。「指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人たちは神に申し開きをする者として、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。」(へブル13・17)。指導者が、部下をないがしろにしたら、神の裁きを受けます。部下が指導者をないがしろにしても、神の裁きを受け、祝福は受けません。人生は、そのようなものです。自分勝手な生き方をする者が、神からの油注ぎを受けないのです。王室や芸能人のいざこざを眺めて批判しながら自分の人生を吟味し、為すべきことを行わないなら、私たちが嘆くことになるのです。

私自身、なぜ牧師になったかと言えば、適正であるとは思えず、能力があるとも思えません。ただ、ひたむきに牧師職を務めています。長く生きていて、向き不向きなどは職業には関係ないことに気がついて来ました。どんなに困難があっても楽であっても、うまく行っても行かなくても、非難されても褒められても、惑わされずに自らの為すべきことをすることが大事です。「召し」、コーリングとして、自分の職業を神から任命されたものと捉えるのは、死ぬ直前で良いのではないでしょうか。そうでないと傲慢になります。自分に適性があると判断することの危うさがあります。

ソロモンは、偉大なダビデ王の後継者として王となりましたが、「主よ、私の父ダビデになさったあなたの約束を堅く守ってください。」(9)と願うばかりです。「地のちりのように数多い民の上に、私を王とされた。」(9)不安は大きなものです。知恵があるほどにその困難さを知るのです。しかし、ダビデは「知恵と知識を私に授けてください。」(10)と求めます。多くの信仰者は、それを素晴らしいとします。しかし、私は、その知恵の故に賞賛され、堕落していったソロモンの末路を見ます。

チャールズ王もダイアナ妃を死に至らせた自らの愚かさを恥じて、王でありながら清貧を大事にして継ぎはぎのスーツを着ているのかと思います。公に泣くことも、悔いることもできないチャールズは、非難され、次男とその嫁の愚かさに苦労しながら、王となったのではないでしょうか。

人の愚かさは、愚かな自分中心の生活を恥とせず、自分を正当化して悔い改めないで生きることに現れます。人の批難や攻撃に動揺せずに自らの職務を果たすことが大事です。神は、自らの繁栄を求める者を憎みます。

Ⅱ歴代誌1章7~13節

  • 1:7 その夜、神はソロモンに現れて仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」
  • 1:8 ソロモンは神に言った。「あなたは、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。そして、父に代わって私を王とされました。
  • 1:9 神、【主】よ、今、私の父ダビデになさったあなたの約束を堅く守ってください。あなたは、地のちりのように数の多い民の上に、私を王とされたからです。
  • 1:10 今、知恵と知識を私に授けてください。そうすれば、私はこの民の前に出入りいたします。さもなければ、だれに、この大いなるあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
  • 1:11 神はソロモンに仰せられた。「そのようなことがあなたの心にあり、富も、財も、名誉も、あなたを憎む者たちのいのちさえ願わず、また長寿も願わず、むしろ、わたしがあなたをその王として立てたわたしの民をさばくための知恵と知識を願ったので、
  • 1:12 その知恵と知識があなたに授けられる。またわたしは、あなたの前の王にも後の王にもないほどの富と財宝と誉れをあなたに与える。」
  • 1:13 こうして、ソロモンはギブオンにある高き所から出て行き、会見の天幕の前を去ってエルサレムに行き、イスラエルの王となった。