「祝福と呪いをあなたの前に置く。」 申命記30章14~20節

徳川家康は、「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。」を信条に、人質にされたり、妻や息子を殺すように命じられたりしながら忍耐をして、ついに江戸幕府を開き、73歳まで生きた人です。他に「人は負けることを知りて、人より勝れり。」と諭します。

小坂忠さんの「勝利者」が好きで車の中で聴きながら涙を流します。「勝利者はいつでも苦しみ悩みながら、それでも前に向かう。」。試練や艱難、逆境、災害など誰にもありますが、ある人はそれに耐えながら前に向かって進み、ある人は諦めて立ち止まり、方向を変えてもうまく行かずに生きるようになります。小坂さんは、「コロナだからと恐れ、礼拝に参加しないでいる人が天国に迎えられるか疑問だ」とアーサー・ホーランドと話していました。今年、がんの為に召天しましたが、「勝利者の凱旋」だと思います。死ぬまで讃美し続けていました。

「あなたの神、主を愛し、主の道に歩み、主の命令と掟と定めを守る」(16)かどうかが、私たちの人生が「祝福と呪い」(30・1)のどちらかのものになるかを決めます。

短期的には、成功や失敗はありますが、失敗を恐れて進まない人が勝利者になることはなく、祝福を勝ち取ることもありません。それは、徳川家康のようなクリスチャンでない人にも当てはまります。「不自由を常と思へば不足なし 心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし。」見事な悟りです。

母親ばかりに育てられた子供たちが、失敗や危険を恐れているのを、心配します。最近は、父親もそのような思考になっています。それは、社会が安全になってきたからでしょう。CMに惑わされて除菌をしてばかりいると免疫力がなくなり、簡単に感染症になると昔の人は思います。どうように、危険を避けてばかりいると、実際には必ず遭う危険に対応できなくなります。

「ヨルダン川を渡り、入って行って所有しようとしているその土地で」(18)は、未知で敵ばかりで多くの困難が予想されます。なぜ、失敗するのでしょうか。心が定まらないからです。「主に聞き従い」歩む人には、恐れはありません。「うまく行かなかったらどうしよう。」などと考える人は、神を信頼していないからです。うまく行かなかったら、良い経験を積んだだけです。楽をしようとする人が、失敗を恐れるのです。犠牲や代価を払わずに、物を得ることはできません。当たり前のことです。

「みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。」(14)。だから主のことばに聞き従うことは簡単なのです。愚かな人は、聞こうとしていないのです。神を信じている証拠は、このみことばに従って歩んでいるかどうかなのです。それは、言い訳のできない明確な証拠です。

「今日あなたの前に、いのちと幸い、死とわざわいを置く。」(19)。老若男女全て、健康であろうとなかろうと、能力があろうとなかろうと、状況や環境が良かろうと悪かろうと、全ての人の前に、神は試みの岩、妨げの岩、つまずきの石を置くのです。自分の能力や判断では乗り越えられない岩を置くのです。そして、ある者は、神を信じて「御声に聞き従い」前進し、ある者は、自分の状況や能力に不信を持ち、神の御声など聴く耳を持たずに、滅びるのです。

どうして愚かな者は前進しないのでしょうか。それは、前進しなければ、自分の弱さや愚かさを現わさないで済むからです。努力をしないで怠惰に過ごせるからです。惰性の中に過ごして幸せになれることはありません。「愚か者の安心は自分を滅ぼす。」(箴言1・32)。

人を信ぜず、神をも信じないで歩む人もいます。信仰者らしく装っても、決して信仰をもって歩まない人もおります。信じるということができない人が、信仰者を装っても、「私は今日、あなたがたに対して天と地を証人に立てる。」(19)。不信仰はばれるのです。

人を愛する、神を愛する、ということは、自己犠牲なしには為しえません。さらに、自己犠牲とは、意思をもったものなのです。惰性で生きる者には、為しえないことなのです。

私は、聖書を読んで、箴言を読んでも、心が成長せず、愚かなままでいる人々を多く知っています。祈りをしても、心を神に向けられずに、ただお題目を述べているに過ぎない人も知っています。信仰にしても、人生にしても、人との交流にしても、実は誰の目にもその人の真実はわかってしまうのです。

「いのちと幸い」を真に求める人は幸いです。短期的には得られなかったとしても、その努力は、その人を価値ある人にするのです。「主にすがる」(20)ことは、どんなにうまく行かないことが続こうとも、神の国への道を教えるのです。

申命記30章14~20節

  • 30:14 まことに、みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。
  • 30:15 見よ、私は確かに今日あなたの前に、いのちと幸い、死とわざわいを置く。
  • 30:16 もしあなたが、私が今日あなたに命じる命令に聞き、あなたの神、【主】を愛し、主の道に歩み、主の命令と掟と定めを守るなら、あなたは生きて数を増やし、あなたの神、【主】は、あなたが入って行って所有しようとしている地で、あなたを祝福される。
  • 30:17 しかし、もしあなたが心を背け、聞き従わず、誘惑されてほかの神々を拝み、これに仕えるなら、
  • 30:18 今日、私はあなたがたに宣言する。あなたがたは必ず滅び失せる。あなたがヨルダン川を渡り、入って行って所有しようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くことはない。
  • 30:19 私は今日、あなたがたに対して天と地を証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、
  • 30:20 あなたの神、【主】を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためである。まことにこの方こそあなたのいのちであり、あなたの日々は長く続く。あなたは、【主】があなたの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われたその土地の上に住むことになる。