「救い出してくださるイエス。」Ⅰテサロニケ書1章3~10節
ウクライナへのロシアの侵略は無謀かつ無慈悲なもので、ロシア人さえ嫌がるものです。降伏したら国は滅び、殺戮と暴力がはびこるでしょう。歴史は、戦争の愚かさと悲劇を伝えておりますが、権力者の欲望は人の命や降伏を軽んじたものです。
日本がこのような侵略に遭った時、果たして国を守るためにどれだけの人々が命懸けで戦うか、あまり信用はできません。最近は、家族さえ守ろうとしない無責任でだらしない男性が多くなっています。女性たちも、不甲斐ない男性たちを信用し愛することができないことでしょう。
パウロは、テサロニケのユダヤ人たちから攻撃され命の危険にもさらされていました。しかし、そのような中でもテサロニケにいるクリスチャンたちは信頼のおける人々でした。それは、彼らが3節にあるように、
① 信仰から出た働き
② 愛から生まれた労苦
③ 主イエスに対する望みに支えられた忍耐、を保持していたからです。
信仰は、主体的に行動するものであって、強いられてするものではなく、同調的にするものでもありません。労苦を厭うものでもなく、率先して人を助ける為に労苦をするものです。それは愛があるからです。ウクライナの青年が、避難する人々とは逆に国を守るために祖国に入っていました。愛は、犠牲や労苦を覚悟して人を守るのです。自己中心な人にはできません。また、この「忍耐」は、能動的で男らしい持久力を意味すると説明されていました。つまり、受動的に苦しむ人の忍従ではなく、勇敢な兵士の不屈な精神のようなものです。そして、それはキリストの再臨、王としての征服に対する「望み」に支えられているのです。
そして、そのようなことができるのは、「あなたがたが神に選ばれている」(4)からなのです。先週のスマホ講座に私は感動しました。多くの人が全くスマホに不慣れなのですが、一生懸命に身に着けようとしているのです。私が「挙手」をしてください、と画面で言ったら、皆さんが「挙手」ボタンを押さずに挙手をしていたのです。私が伝えることを理解できずに、途方にくれているのを若い人が横で教えていました。まさに、この3点を保持している教会員なのです。わからない、できないは恥ではありません。それをしようとしないことが既に「望み」を保持していないことなのです。「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。」(6)。90歳を超えた方も「倣う」ことをしているのです。終末の備えをしているのです。
「その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。」(7)。パウロがテサロニケの信者からの支援を辞退している(2・9)ことからも、テサロニケの教会員はそれほど豊かではなかったようで、またユダヤ教からの回心者ではなく、「偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようにな」(1・9)った人々が多かったようです。この教会も、他の教会の在り方に影響されないで真摯な信仰で自発的に行動する信者さんたちであると、賞賛されています。「生けるまことの神に仕える」とは、単に神を信じているということではありません。犠牲を払い、努力を積み重ねて、神の望まれること、喜ばれることをおこなって仕えるのです。
昨日パラリンピックで優勝したウクライナの選手が祖国に向けて「皆さん、強くあってください。」と叫んだそうです。障害者であって、さらに優勝するほどの努力と重ねているからこそ、勇敢な兵士の不屈な精神のように強さが必要なことを強調したのでしょう。
神の国に行くためには、努力ではなく、「神に選ばれている」(4)ことが必要です。牧師として、誰が選ばれているかは考えないことにしています。ただ、祈り牧会をしながら、生まれつきの能力や努力では、先の3点、信仰と愛と希望を保持できないことはわかっています。そして、教会に通い続ける中で、それを保持するためには、真の悔い改めが必要であると伝えなければなりません。生まれつきの自らは自己中心であって、自分のやりたくないこと、苦手なことはしません。どうにかして、それを無しに平穏な信仰生活を送りたいと思うのです。しかし、神は、全ての人に悔い改めを命じておられます。そして、悔い改めない人は「御怒り」(10)から救われることはないのです。
神を甘く見てはいけません。自分の在り方や考え方を通していては、信仰生活を全うできるものではないのです。突然の戦争も怖いものですが、「御子が天から来られるのを待ち望む」(10)ことができるかどうか、平安があるかどうか、それは神の前の悔い改めに掛かっています。
Ⅰテサロニケ書1章3~10節
- 1:3 私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。
- 1:4 神に愛されている兄弟たち。私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています。
- 1:5 私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いたからです。あなたがたのところで、私たちがあなたがたのためにどのように行動していたかは、あなたがたが知っているとおりです。
- 1:6 あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。
- 1:7 その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。
- 1:8 主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません。
- 1:9 人々自身が私たちのことを知らせています。私たちがどのようにあなたがたに受け入れてもらったか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、
- 1:10 御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。
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