「人々の為に労苦しています。」コロサイ4章2~13

台風15号は凄いものでした。風速57.5mは、木も電柱もなぎ倒しました。7月に作った櫓に太陽光発電システムを付けたので、隣の家に電気を通したり、クリニックの発電機を2台持っていきましたが、6日経っても電気は繋がらず、道路は不通が多くあります。

 災害の時に感じることは、自ら災害に対処する人が少なく我慢を続ける人が多いということです。政府や東電の対応の遅さを非難する人もおりますが、日本の企業の優秀さと働いている人々の勤勉さに感心します。日本は平和であり、社会基盤がしっかりしているわけです。外国に行くと駅員はおらず、サービスも悪く、機械化・IT化が進んでいて、自らよく考え準備しないと目的地に着くこともできません。日本のサービスの過剰化が、世界水準では不合理な組織や働きとなり、却って設備の維持ができなくなってしまい、人が弱くなるのです。

 自らの判断で生きる、仕事をする人が少ないことも気になります。災害や事件事故の時、敵や悪人と遭遇した時に、何もできないで被害者となるのです。組織や上司の判断に任せていたら、確実に支配され、敗北します。社会は危険なものへと悪化しているのに、無防備です。

 聖書が終末を預言します。自然災害も悪化の一途を辿るでしょう。今回の台風についても、備えていなかった人は多くの被害を今後の災害で受けることになるでしょう。人の安否を気にせず救援もなにもせず、興味としてテレビを見ていただけの人は、災害の時に自らは助けを受けられると信じているのでしょうか。まさに、自己中心です。

 「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」(ルカ10・25)。『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」(10・27.28)人々はこの教えを実行しようとしていないので、イエス様は良きサマリヤ人のたとえ話をされました。(ルカ10・30-37)

 強盗に襲われ、着物をはぎ取られ半殺しの目に遭わされて倒れている人がいました。通りがかった祭司もレビ人も、関わり合いを避け、助けもせずに反対側を通り過ぎていきました。ところが、見下され、罪びとであると非難されているサマリヤ人は、「彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。

 イエス様の言われる「隣人」とは、決して家族でも近所の人でも知り合いでもありません。「この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」(10・36.37)。面白いことに、「憐れみ」の心篇をこざと篇に変えると「隣り」になるのです。こざと篇は、丘を意味し、豊かな地形を示したそうですが、心が伴わないと隣人にはならないわけです。

 クリニックには発電機だけではなく、救援用の食料や水、その他が備えられており、いつでも災害救助できるようにしており、今回も被災者に教会の3階の提供を申し出ています。自らの得た収入の一部をそのようなものに備えるのはクリスチャンの義務であると考えております。妻もまた、木曜には無料診療をしに長柄に行きました。人が労苦に遭っているのを知ったら直ちに救援に動く準備をしておく、ということをすることこそ、「永遠のいのちを自分のものとして受ける」のです。そして、そのような愛と憐れみを保持していることこそが、信仰者の真実のしるしなのです。その為には、「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」(4・2)が必要です。

 「外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。」(5)ということは、伝道を心掛けていたら当然なことです。愛があれば、そのことは当然な行為として人を助けようとするのです。

 「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。」(6)自分の言動について、御霊に導かれ満たされていたら、不注意な、或は無関心・無感動な言動はなくなるのです。

 7節からの忠実かつ献身的な信者への賞賛は、教会の奥義である愛による助け合いを示しています。教会というものは、この世の付き合いの場ではないのです。神の家族であり、その愛による「非常な労苦」によってこそ、「完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができる」(12)ようになるのです。

コロサイ4章2~13節

  • 4:2 目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。
  • 4:3 同時に、私たちのためにも、神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。この奥義のために、私は牢に入れられています。
  • 4:4 また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。
  • 4:5 外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。
  • 4:6 あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。
  • 4:7 私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう。
  • 4:8 私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません。
  • 4:9 また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。
  • 4:10 私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです──この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。──
  • 4:11 ユストと呼ばれるイエスもよろしくと言っています。割礼を受けた人では、この人たちだけが、神の国のために働く私の同労者です。また、彼らは私を激励する者となってくれました。
  • 4:12 あなたがたの仲間のひとり、キリスト・イエスのしもべエパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます。
  • 4:13 私はあかしします。彼はあなたがたのために、またラオデキヤとヒエラポリスにいる人々のために、非常に苦労しています。