今週のメッセージ「反すうし、ひづめが割れている。」 申命記14章1~8節

反芻(はんすう)とは、一度飲み込んだ食べ物を胃から口の中に戻して、再び噛んでからまた飲み込むことです。牛の胃袋は4つあって、口で噛んだ物が入った第一の胃は最も大きく200~300リットルもあり、微生物が多くあって草の繊維を発酵させて吸収しやすい形にします。第2の胃は第一の胃では消化しづらい食物を細かくして口に押し戻してゆっくり噛み直し、第3の胃に送り、すりつぶして水分やミネラルを吸収して第4の胃に送ります。第4の胃では胃液が出て消化します。

 人間は繊維を消化できず、ふわふわの良い便にするだけですが、牛の第一の胃で微生物を育てタンパク質と脂肪酸を生成するのです。牛は青草50kg以上を食べ、水60~80リットルを飲みます。牛は7百~8百kgあります。反芻する牛と反芻しない馬では、はるかにエネルギー効率が反芻によって高いそうです。羊も山羊も4つの胃があります。 

 蹄が分かれていると、地面をしっかりつかんで歩むということで、物事を慎重に歩むという意味合いを含みます。山羊や羊は蹄が分かれているので、岩場や崖でも安定してジャンプなどもできます。豚やラクダは蹄が分かれているけれど反芻しないので、汚れているのです。

反芻することは、何度も時間を掛けて食べることで、捉えられなかった難問も解決していくということを意味し、それで聖いとされるわけです。この時代の聖いとは、食べても問題がないということも意味しましたが、聖書の教えは、聖という考え方を教えることを大事にしていました。捧げものにするのは、牛か羊か山羊でした。

「聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません。」(へブル12・14)とあるように、物事を反芻して考え捉えることは、私たちの歩みと存在が聖であり、御心に沿って歩むために必要なことです。

人は多くのことで失敗し、間違ったことをし、そして自己中心に行動します。ある人は、祈ったことで神からの保証を得たように考えます。ひどい場合には、神の導きとか示されたと言います。「主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。」(申命記5・11)とあるように、安易に神の導きを得ると考えるのは神を軽んじているからであって、まさしく聖ではありません。

また、聖であることを求めていない、大事なことだと考えていない人も多いようです。現代社会は、神を信じない無宗教の人が増えておりますが、信仰者でも、神に問いながら行動する人は少なくなっています。神を軽率に捉えているのです。

「どうか、及び難いほど高い岩の上にわたしを導いてください。あなたは私の避け所」(詩篇61・2、3)、「この岩の上に、わたしの教会を建てます。」(マタイ16:18)とあるように、聖書は岩の上を大事にします。牛や羊や山羊は岩の上を上手に歩きます。敵から逃げる時、山羊は岩地や急傾斜の崖に行きます。

 多くの人の行動を見る時、吟味せずに安易な道を歩きます。人々が多く歩いているから安全と考えるか、それは誘惑の道だと警戒するかで、人生は全く変わってきます。つまり、それが聖か、俗かに関わってくるのです。

 私は多く本を読み、人生を想って、高校の頃から、人にへつらったり、信念に合わない職業を避けてきました。自分の行く道を吟味して生きることは、これからの終末の困難な時代にあって大事です。さらに、神の召しに従って、自分という存在が如何に生きるべきかを時間を掛けて反芻することをしなければなりません。

 さて、教会は聖書の教えと時代を見て、よく反芻しなければなりません。実際に、多くの地域教会が整理統合され、信者数も減り、高齢化が進んでいます。また、牧師さんと信者さんを見ていると、幾つかのタイプがあります。聖書に忠実かつ信仰深く過ごすけれども、現実離れした考え方を持っている人。神は信じるけれども、現実の生活で成功し、豊かに幸せになることを願っている人。信仰も仕事も生活もほどほどにして、平凡に生きている人。・・・いろいろおります。

 それらは立場としての信仰保持であって、動的な信仰生活とは言い難い気がします。反芻とは、自分のあり方、日々の生活、行い、全てを聖霊の導きのもとに吟味し、それらを自らの過ち、愚かさ、正しさ、義などとして消化し、自らを形成していく糧にすることです。

 信仰をもって仕事をこなし、自らの歩みをしっかりと現実と御心に則って前進していくことはかなり難しいことです。神の祝福を自らに注ぐように生きるのは、神にすがっていてはだめです。いつも試練や攻撃が付きまといます。それを神に委ねながら、よく反芻し、現実の生活をコツコツと信仰の法則にそって対応していくのです。消化できないと吐き出してはいけません。それが十字架を負って生きるということなのです。

申命記14章1~8節

  • 14:1 あなたがたは、あなたがたの神、【主】の子どもである。死人のために自分の身を傷つけたり、また額を剃り上げたりしてはならない。
  • 14:2 あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民だからである。【主】は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。
  • 14:3 あなたは、忌み嫌うべきものは、どのようなものも食べてはならない。
  • 14:4 あなたがたが食べてもよい動物は牛、羊、やぎ、
  • 14:5 鹿、かもしか、のろ鹿、野やぎ、くじか、大鹿、野羊。
  • 14:6 ひづめが分かれ、完全に二つに割れているもので、反芻するものはすべて食べてもよい。
  • 14:7 ただし、反芻するもの、あるいは、ひづめが分かれているものの中でも、らくだ、野うさぎ、岩だぬきは食べてはならない。これらは反芻するが、ひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。
  • 14:8 豚もそうである。ひづめは分かれているが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。

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MYoshi
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