「この曲がった時代から救われなさい。」 使徒の働き2章33~42節
私たちの教団、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、聖書をそのまま神の言葉として信じる福音派に属しており、その中でも聖書的聖霊体験を重視するペンテコステ派と言われる教団です。ですから教理の面でも、信仰生活でも、「聖霊による」ということが繰り返し強調されます。
どうして、「聖霊による」と強調されるかというと、多くの信者が「自分の判断によって」信仰生活を生きる傾向があるからです。聖書を読み、説教を聞き、神のしるしや奇跡を体験すると、誰でも自分の罪を思います。ところが、それで反省したり、自分を責めたりするだけで終わってしまうのです。
「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか』と言った。」(37)。
「そこで、ペテロは彼らに言った。『それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』」(38)。
① 悔い改める。
仏教的思考なのでしょうか、「過ちを反省して心がけを変える。」と辞書にはあります。しかし、聖書では、「思いを自分ではなく、神に向ける。」、つまり、「心の思いの向きを変える。」ことです。自分中心に考えることが罪であり、自分を良くしようとして悔い改めるのは、聖書の示す悔い改めではありません。自分の内に良きものはない、と認めて、自分を良くすることを止めて、救ってくださる神に目を向けるのです。
② 自分の能力を否定する。
人間は身体、心、霊によって成り立っています。不安、怒り、喜び、平安…などは、心によって説明のつくものではなく、霊的なものです。例えば、説教によって心が納得し、悔い改めても、霊に繋がったものでなければ、罪に惑わされてしまいます。救いは、自分を否定し、自分の能力で対処することを止めて、神が助け守ってくださることを信じることによります。「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬことになります。しかし、もし御霊によって身体の行いを殺すなら、あなたがたは行きます。」(ローマ8・13)。自分で、「良くなろう」、「変わろう」と思うほどに、自分に囚われて、死んでいくのです。
③ 御霊に委ねて生きる。
「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。」(ローマ8・14)。「御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。」(ローマ8・16)。
④ 洗礼を受ける。
日本人的考え方では、クリスチャンとして成熟したらとか、社会人として安定したら、などと判断して洗礼を伸ばすことが多いのですが、それは、行いや外面を優先する考え方で、神を信じたものではありません。そして、そのような考え方が、信仰者として神の祝福を失うものとなるのです。
⑤ 賜物として聖霊を受ける。
この意味は、「助け主を遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかなさいます。」(ヨハネ16・7.8)。「真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。」(同13)ということでしょう。
ただ、「今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。」(33)という、異言を伴う聖霊のバプテスマを見聞きしてからこそ「心を刺され」(36)ということは事実でしょう。
⑥ 聖霊の賜物が注がれる。
後に、ペテロが異邦人に招かれて説教していると「みことばを聞いていた全ての人々に、聖霊が下った。…異邦人にも聖霊の賜物が注がれたことに驚いた。彼らが異言を語り、神を讃美するのを聞いたからである。」(使徒10・44-46)。
異言を伴う聖霊のバプテスマを受ける為には、心の働きを止めることが大事です。あれこれと考えたり、人を気にしたり、虚勢を張ったりする人には、聖霊に満たされることは難しいのです。受霊後も、いろいろと考えたり、悩む人は聖霊に満たされることは難しいのです。
⑦ 曲がった時代から救われる。
聖霊に満たされていないと、この時代が曲がっていることを意識したとしても、そこから救われる思いを持たず、行動もしないで過ごすことになるでしょう。この曲がった時代の先に、神の御霊に満たされた人だけが行くことができる神の御国があるのです。多くの人が、神の国をしっていながら、そこに行くための状態を保てないで、この世に浸って過ごしてしまうのです。
使徒の働き2章33~42節
- 2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。
- 2:34 ダビデが天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。『主は、私の主に言われた。あなたは、わたしの右の座に着いていなさい
- 2:35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。』
- 2:36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
- 2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
- 2:38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれ
- 2:39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」
- 2:40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
- 2:41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
- 2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
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