「滅びの穴から引き上げてくださった。」 ヨナ書2章6~3章5節
イエス様が十字架に掛かって死なれたのは公開死刑ですから、誰もが知っています。3日後によみがえったことは、秘密にされました。「祭司長たちは長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、『弟子たちが夜やって来て、我々が寝ている間にイエスを盗んで行った』と言いなさい、と言った。」(マタイ28・12.13)。「そこで、彼らは金をもらって、言われた通りにした。それで、この話は今日までユダヤ人の間に広まっている。」(同15)。イエス様がよみがえったことを知られることは、当時のユダヤ教にとって都合が悪いので、誤魔化したのです。兵隊たちが寝ている間に遺体を運ばれたのであれば罰を受けるので、嘘であることは明らかなのに、民衆もそんなことはどうでもよかったのです。
マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメは、御使いにイエス様がよみがえられたことを告げられても、「墓を出て、そこから逃げ去った。震えあがり、気も動転していたからである。そして誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」(マルコ16・8)。弟子たちは、マリヤに「イエスが生きていて彼女にご自分を現わされたと聞いても信じなかった。」(11)。「この話はたわごとのように思えたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった。」(ルカ24・11)。エマオへの途上の二人の弟子も、よみがえられた話を聞いても、単に噂話として受け取り、信じないので「愚かな者達、心が鈍くて、預言者たちのいったことすべてを信じられない者達」(ルカ24・25)と叱責をイエス様から受けますが、それでもイエス様とわからない有様でした。「その後イエスは、十一人が食卓に着いている所に現われ、彼らの不信仰と頑なな心をお責めになった。よみがえられたイエスを見た人たちの言うことを、彼らが信じなかったからである。」(マルコ16・14)。
「悪い、姦淫の時代はしるしを求めますが、しるしは与えられません。ただし預言者ヨナのしるしは別です。ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。ニネベの人々が、さばきのときにこの時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし見なさい。ここにヨナにまさるものがあります。」(マタ12・39-41)
異教国アッシリアの首都であるニネベの王も指導者たちも民もヨナの警告に悔い改めたのに、選民と言われ、律法を知り、預言者の警告も続いていたユダヤの民がどうして、悔い改めなかったのでしょうか。
ニネベはアッシリア帝国の首都であり、アッシリアは征服した国の民を串刺しにし、皮を剥ぎ、手足を取り、口に鉤を付けてひきづったりした残虐な国家です。「アミタイの子ヨナ」(Ⅱ列王14・25)が預言したのは、イスラエルの王ヤロブアムの時代(BC824-783)で、「イスラエルの苦しみが非常に激しいのを主がご覧になったからである。」(同14・26)。この苦しい時に、「立ってあの大きな都ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」(ヨナ1・2)。この時は、アッシリア帝国の最盛期であり、オリエント世界を支配していました。この国に滅亡を預言するのは大変勇気のいることです。
「私はへブル人です。私は、海と陸を造られた天の神、主を恐れる者です。」(ヨナ1・9)と言って、大嵐をなだめる犠牲として海に投げ込まれます。ところが、大きな魚に呑み込まれたヨナは、3日目に吐き出さされて、海岸に打ち上げられます。その様子は、まさに魚に呑み込まれた姿だったでしょう。ニネベは海岸から600キロはあります。その道を恐ろしい風体の預言者がニネベの滅びを叫びながら歩いて来るのですから、人々は震えあがります。ヨナは、もはや命を捨てて裁きを叫ぶのですから、恐れるものはありません。凶悪なアッシリア人もすくみ上り、都に入って「あと40日するとニネベは滅びる。」(3・4)と叫ぶヨナの言葉に「神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで粗布をまとった。」(5)。王は、「人も家畜も、粗布を身にまとい、ひたすら神に願い、それぞれ悪の道と、その横暴な行いから立ち返れ。もしかすると、神が思い直して憐れみ、その燃える怒りを収められ、私たちは滅びないで済むかもしれない。」(8.9)と布告しました。
要するに悔い改めるか否かです。なにかイエス様の時代のユダヤと現代の日本は似ているようです。指導者は、決して悔い改めない、宗教を利用して権威を保持しようとしている、民衆は宗教を信じているふりをしているけれども、実際には全く信仰的ではない。弟子たちもまた、復活を信じなかったということは驚きです。クリスチャンと自認している人々も、実は復活を信じていない人は多くいるものです。復活を信じていない証拠は、現実生活に囚われ、決して神の国のために生きていない人です。神には、その信仰姿勢がばれていることに気が付かないと思っているようです。
ヨナ書2章6~3章5節
- 2:6私の神、【主】よ。あなたは私のいのちを滅びの穴から引き上げてくださいました。
- 2:7 私のたましいが私のうちで衰え果てたとき、私は【主】を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。
- 2:8 空しい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨て去ります。
- 2:9 しかし私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえを献げ、私の誓いを果たします。救いは【主】のものです。」
- 2:10 【主】は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させた。
- 3:1 再びヨナに次のような【主】のことばがあった。
- 3:2 「立ってあの大きな都ニネベに行き、わたしがあなたに伝える宣言をせよ。」
- 3:3 ヨナは、【主】のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな都であった。
- 3:4 ヨナはその都に入って、まず一日分の道のりを歩き回って叫んだ。「あと四十日すると、ニネベは滅びる。」
- 3:5 すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで粗布をまとった。
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