「情け深く憐れみ深い神。」 ヨナ書4章1~11節
先週お話ししたように残虐非道なアッシリアの指導者も民も、度胸を据えて神の裁きを宣言する恐ろしい形相の預言者ヨナの前で、まさかの悔い改めをしました。「もしかすると、神が思い直して憐れみ、その燃える怒りを収められ、私たちは滅びないで済むかもしれない。」(3・9)と言う通りになったのでした。
ヨナは怒り、やはり裁きを宣言せずに、タルシシュに逃れていたら、そのままアッシリアは滅びたのに、「あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。」(4・2)と祖国の存亡を思い憤慨するのです。しかし、このことによってアッシリアはイスラエルへの侵害を留めたかもしれません。
Ⅱ列王記15・19にアッシリアの王が攻めて来て、イスラエルの王メナハムが銀34トンをアッシリアに差し出したのは紀元前750年頃で、約40年後です。その後、イスラエルでは、ヤロブアムの子孫は殺され、ペカが王となり、更に二十数年後、「アッシリアの王ティグラト・ピレセルが来て、・・・住民をアッシリアへ捕え移した。」(Ⅱ列王15・29)。
その頃、ユダの悪王アハズもティグラト・ピレセルに「アラムの王とイスラエルの王の手から救ってください。」(16・7)と「主の宮と王宮の宝物蔵にある銀と金を取り出し」(8)送って、助けを求めました。アハズ王は、ティグラト・ピレセルに会いにダマスコへ行った時に見た異教の祭壇を真似てエルサレムの神殿を作り直し、神の命令で造られた大事なものを「アッシリアの王のために主の宮から取り除いた。」(同16・18)。イスラエルも約10年後に「アッシリアの王はサマリヤを取り、イスラエル人をアッシリアに捕え移し」イスラエル王国は、紀元前722年に滅びました。
「彼らは主の掟と、彼らの先祖たちと結ばれた主の契約と、彼らに与えられた主の警告を蔑み、空しいものに従って歩んだので、自分たちも空しいものとなり、主が倣ってはならないと命じられた、周囲の異邦の民に倣って歩んだ。」(同17・15)「そのため主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを御前から除かれた。ただユダの部族だけが残った。」(17・18)。
こういう時代背景と人の愚かさの結末を知って皆さんは何を考えるでしょうか。多くの人が、その場限りの悔い改めをし、その時うまくいけば、もはや生活と考え方を改めることもなく、平気で過ごしています。イスラエルは、神の選びの民であると自認していましたが、悪しき王と共に滅んでいきました。彼らは、足かせ手かせでアッシリアまで連れられ奴隷として死んでいったのです。
ヨナは、預言者でしたが、近視眼的な愛国者でした。イスラエルが滅びない為にニネベが滅びることを求めたのです。「私は生きているより死んだほうがましです。」(3)。
唐胡麻には多くの種類があり、小さな木になる多年草のものも小さく一年生のものもあり、種から得られる油はひまし油として広く使われています。ところが、その種にはリシニンという猛毒が含まれており、その種を口にすると直ちに死ぬことがあるので注意が必要です。ひまし油は灯りに使われたりしますが、毒性を用いて下剤として使われたこともあります。
その唐胡麻をヨナの仮小屋の日よけとして神が生えさせたので、快適となり、ヨナは「非常に喜んだ。」(6)。先ほどまで神に文句を言っていたのに、快適になると思いを変え、さらにその唐胡麻が枯れて日が差すと「私は生きているより死んだほうがましだ。」(8)という愚かさを示します。
人は、人生の幸不幸、栄枯盛衰、喜怒哀楽に左右されて生きています。実は、神を信じるということも、その一環の中でたまたまそれを選んだ人も多いのです。そして、そのついでの中で信仰生活を保っているのです。そういう人は、自分にとって都合が悪くなると、信仰をおざなりにし、神に不満を言います。まるでヨナのようです。「右も左もわからない」(11)で、自称信仰者で生きている場合が多いのです。
神はそういう人を滅ぼそうとしているのでしょうか。「わたしは(神は)、惜しまないでいられるだろうか。」(11)。神は、私たち、全ての人間を愛しておられるのです。「情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方である」(4・2)。ところが、人間は、「悪の道から立ち返った」(3・10)は、束の間で、直ぐに悪に戻るのです。
「わたしが彼らを、彼らの父祖たちに誓った乳と蜜の流れる土地に導き入れるとき、彼らは食べて満ち足り、肥え太り、そして、ほかの神々の方に向かってこれに仕え、わたしを侮ってわたしの契約を破る。」(申命31・20)。イエス様は警告されます。「正しい者たちの中から悪い者どもをより分け、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。」(マタイ13・49.50)
ヨナ書4章1~11節
- 4:1 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にした。ヨナは怒って、
- 4:2 【主】に祈った。「ああ、【主】よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。
- 4:3 ですから、【主】よ、どうか今、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましです。」 4:4 【主】は言われた。「あなたは当然であるかのように怒るのか。」
4:5 ヨナは都から出て、都の東の方に座った。そしてそこに自分で仮小屋を作り、都の中で何が起こるかを見極めようと、その陰のところに座った。
4:6 神である【主】は一本の唐胡麻を備えて、ヨナの上をおおうように生えさせ、それを彼の頭の上の陰にして、ヨナの不機嫌を直そうとされた。ヨナはこの唐胡麻を非常に喜んだ。
4:7 しかし翌日の夜明けに、神は一匹の虫を備えられた。虫がその唐胡麻をかんだので、唐胡麻は枯れた。
4:8 太陽が昇ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は弱り果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」
4:9 すると神はヨナに言われた。「この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」
4:10 【主】は言われた。「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。
4:11 ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」
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