「信仰は進行」ホセア14章8~9節 櫻井圀郎協力牧師
本日からアドベント。教会暦の新年の元日です。「新年、おめでとうございます」。日本語では「待降節」。基督の降誕を待つ期間とされますが、羅語「adventus」は、「advenio(到着する)」から派生した名詞ですから、「到来」という意味です。基督到来のカウントダウンでしょう。古くは断食と祈祷で過ごす期間とされていたようですが、今日的には、1年の総決算の意味も含めて自らを吟味する期間と考えます。
世の終わりの前兆は、飢饉、地震、洪水、疫病、不法・不正、戦争。その全てが全うされつつあるようです。「今までに経験したことがない」という言葉で表現される、異常な現象を生じています。
とはいえ、大宇宙の運行から、地球の動き、髪の毛1条、雨粒1個、ウイルス1つに至るまで、神のご計画の中にあるのです。信仰が問われます。
Ⅰ 信仰者の結実
御言葉は、まず、真の神と神の偶像との区別を明確にします。
罪人となった人間の世界は、偶像の世界です。罪人には現実と見えるが、実は仮想空間です。世界は人間が支配し、人間の知恵は世界を超えたと豪語しますが、現実は否です。仮想、架空、想像の世界です。
偶像とは、本来あるものの仮の姿、模造品、偽造品です。
「神を偶像に準える」。偶像は神の模造品ですから、神を神の模造品と比べること、本物を偽物と比べることを意味します。「神は答え、神は助く」。神があらゆる局面に存在し、あらゆる行為を援護しているのです。神の喩えはユニークです。「我こそ緑の樹なり」。そこから、汝の果実は産まれるのだ、というのです。成果はすべて神なる木から生まれているのです。
罪ある人間、偶像崇拝の人間は、唯物的な因果論です。人間の産み出す果実が、人間の側の要因に比例していると考えるのです。もちろん努力は必要ですが、それだけではないのです。自分の実力の十倍、五十倍、百倍の成果もありなのです。もちろん、逆もありです。
百倍も頑張ったのに失格だったなど。それも神の成果です。人間的な視点で良いことばかりではなく、悪いことも含めて神の業なのです。果実にはいろいろあります。信仰者の結ぶ実、それは様々ですが、すべて神の実なのです。そう考えれば、心休まります。
Ⅱ ヤハウェの道
続いて、御言葉は、「知恵のある者はいないのか」と語りかけます。
知恵のある者なら、これらの認識すべき事項を認識し、かつ理解するはずである、というのです。
こう言いながら、「知恵のある者はいない」と言っているのです。「これらの認識すべき事項を認識しておらず、当然、理解もしていないから」です。「認識する」とは、その事実を察知し、確認することです。「理解する」とは、文字通り、その理路、つまりその意味、論理、法則、状態などを解きほぐすことです。その知恵の試験問題が、「ヤハウェの道」「神の道」です。
御言葉は、「偽りなく、ヤハウェの道々は平坦にして、真っ直ぐなり」「嘘じゃない。神の道は真っ平らで、真っ直ぐなのだ」です。
人間の問題は「認識欠如、理解不能」です。まずは事実を認識し、次いでその意味を理解することが必要です。事実を認識し、理解する、それそのものが、すでに神の道なのかもしれません。
Ⅲ 信仰者の進行
その先が、信仰者の歩みです。「正しい者らは平らで真っ直ぐな神の道の中を平然と歩むが、逆らう者らは平らで真っ直ぐな道の中で躓く」というのです。
平らで真っ直ぐな道なのだから躓くはずがないというのは素人です。平らで真っ直ぐなものほど人々は躓くものです。正義、正論、正しいことを、どうも、人々は嫌いなようです。人々は、正義を主張し、正論を語り、正しい行いをする者を否定し、敵視し、抑圧し、弾圧し、葬り去ろうとするのです。
悪者は本能的に、自分が悪を行なっていると知っており、自分の悪を隠蔽するには正しい者を抹殺するほかないと理解しているのでしょう。正当な神の道の認識と理解に対する、悪の道の認識と理解です。
そこで、悪を正義と言い切り、正義を悪とみなして、悪とみなした正義に対する悪の正義の刃を向けるわけです。それこそ、平らで真っ直ぐな道で躓くことです。
道が間違っているのではないのです。そこを歩く人の目が間違っているのです。その目を修正するのが、神の言葉です。その神の言葉に辿り着くために基督が必要であり、聖霊の助けが不可欠なのです。
基督教信仰は「ただ信仰のみ」ではありません。「ただ信仰のみ」の意味は、罪の赦しを受けるには、基督を主とする信仰告白のみであり、いくらお金を積んだとか、どんな善行をしたとかは無関係であるということです。
それが誤解されて、「ただ信仰のみ」で救われるのであり、すでに信仰告白したのだから、どんな悪事を行なっても平気だなどと豪語されます。極めて危険な誘惑です。そう、悪魔の誘惑です。
信仰告白はスタートラインです。その後は、各人の置かれた身分、境遇、知力、体力、学歴、職歴、能力、その他一切を原資に、生涯をかけて、全能力、全財産をかけて、生命までもかけて、休むことなく、歩み続けるのが信仰=進行です。
ホセア14章8~9節
- 14:8 エフライムよ。わたしと偶像との間に、どういう関わりがあるか。わたしが応え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。わたしから、あなたは実を得るのだ。」
- 14:9 知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟れ。悟りのある者はだれか。その人はそれらのことをよく知れ。【主】の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、背く者はこれにつまずく。
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