「自由人として生きる。」ガラテヤ5章13~26節
先週は主義主張が、私たちを神の御心から逸脱させる間違った価値観であることを語りました。私にとって、先週の週報の写真で示したクリスチャンたちの信仰が驚くべきことでした。情報としては統制され、監視されている中で、信者同士の名前を挙げて執り成しの祈りを公の集会で30分も祈っていることは、愚かなのか、無頓着なのか、或は信仰による自由と勇気を持っていることなのか、と祈りました。逃げることも、誤魔化すこともできない状況に際して、人はどのように行動するか、真実は明らかになるものです。
日本人が言い訳や誤魔化しを口にするのは、命や迫害のない甘えの環境にあるからだと思われます。世界的には、そのような人は、信用の置けない人として、すぐに社会でも仕事でも失墜します。言い逃れを追求しないで済むのは、それを追求しても、自分が失敗を犯した時に、言い逃れができないと困ると感じているからです。つまり、馴れ合いの社会であり、建前が通る社会なのです。
しかし、それは真実に生きることを阻む壁になります。そして、問題解決に至らない無責任になります。百人の人がいて、問題解決能力を持つのは10人くらいであり、問題を起こす人も10人くらいいて、残りは言われたことを果たす人であると言われます。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。」(黙示録3・15)とありますが、悔い改めて救われるのは、冷たいか熱い人です。
「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。」(1)のですが、「しっかり立」たないと、再び「奴隷のくびきを負わせられ」るとあります。先週、高齢になった信者の堕落や退廃を指摘しました。現在、キリスト教の歴史を振り返って論文にまとめていますが、迫害には強いのですが、「肉の欲望」(16)には、弱いのです。ここで列挙されているなかで「敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ」は人間関係に関するものです。
つまり、私たちが気をつけなければならない「肉の行い」というものは、なにげない人間関係に関するものが多いということです。人に腹を立てる、敵対心や対抗心を持つ、人の成功をうらやむ、人を差別し、好き嫌いをあからさまにする、・・・、このようなことが堕落の原因となるのです。先日は久しぶりに酔っ払いの人達と一緒にいました。後で、詫びてきましたが、自制できない有様とそれを面白がって赦す人々に、日本の安逸さを見ました。神なき社会です。
ユダヤ教のタルムード関係の本を4冊ほど買って読んでいます。「神を恐れ、毎日タルムードを読み、実践すれば、罪を犯すことはない。そうすれば、必ず反映する。」とそれを家族や集落で絶えず戒めている、とのことです。確かに、ユダヤ人は権力志向が少なく、表に出ることもなく、繁栄し、力をもっています。誠実に生きることを戒めて、悪を憎み、誤魔化しを互いに認めない日々を過ごすならば神の祝福を得ます。
ルターの「キリスト者の自由」を読み返しました。皆さんも座右に置き、何度も読むべき本です。「肉体においてなされる全ての善行をしても、魂に何の役にも立ちません。」と語り、偽善者になるばかりだと、時の聖職者を批判しています。「神の言葉の他に、天にも地にも、自分を生かし、義とし、自由にし、かつキリスト者とするものはない。」と断言しています。そして、「行いをもって義をされようと考える人々は、訓練ということに意を用いないで、ただ行いだけを考え、多くの行いと、大業な行いをしさえすればそれで良いとし、それで義とされると考え、それが為に頭を痛め、身体を壊します。」と人の目を気にする人を皮肉っています。
「御霊によって歩みなさい。」(16)とは、自分の判断によらず、損得によらず、自分を主張せず、「肉の願うこと」(17)をせず、聖書の通りに自らが歩むことを注意することから始まります。自らの言動をいつも、チェックしてみことばに沿っているかを確認しなければなりません。決して、言い逃れをしてはいけません。神はご存知です。
己の言動に注意深くない人は、御霊の人ということはできません。祈るということは、自らをわきまえるということです。「御霊を受けている人は、全てのことをわきまえます」(Ⅰコリント2・15)とあるように、真実な信者というものは、御霊によってわきまえるしかないのです。しかし、「自分はだれによってもわきまえられません。」と続くように、そのような信者の敬虔さ信仰は、未信者によって理解されるものではないのです。
私自身は信仰者として45年も経ちました。祈りなくして御霊に導かれることのない罪びとです。自己中心が祈りの中で示されます。「絶えず祈りなさい。」(Ⅰテサロニケ5・17)は、自らのいのちと自由のために必須なことです。そして、祈りが妨げられないために、「いつも喜んでいなさい。すべてのことに感謝しなさい。」もまた、心していなければなりません。
ガラテヤ5章13~26節
- 5:1 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。
- 5:13 兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
- 5:14 律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです。
- 5:15 もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。
- 5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
- 5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
- 5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
- 5:19 肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
- 5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
- 5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
- 5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
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