「この子の為に祈ったのです。」Ⅰサムエル1章20~28節

昔、イスラエルの山地に、エルカナとハンナという仲の良い夫婦がおりました。でも、ハンナには子供がなかったので、周囲の人から馬鹿にされていました。毎年、家族でシロという所にある神殿に献げ物をしに行くのですが、ハンナは神の前に苦しんで祈っていました。そして、食事ものどを通りませんでした。

  そして神に誓願しました。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」(Ⅰサムエル1・11)

大祭司エリは、神殿で祈りをささげる人々を見守っていましたが、あまりに長く祈っているハンナに関心を持ちました。ハンナの口は動いていましたが、言葉は聞こえなかったので、変だなと思っていました。ハンナの悲しみと苦しみ、そして、神への誓願は大きなものだったので、人に聞かれるのもを恥じて、ハンナは心の内で祈り、口はその思いを神にだけ伝えるかのように動いていたのです。何時間も祈る人は、殆どおりません。

エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」

ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は【主】の前に、私の心を注ぎ出していたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」

  エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」

  彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。(Ⅰサムエル1・14-18)

 困った時、問題が起こった時、病気やケガの時、まず神に祈ることが大事です。最初に、いろいろ考え悩み、いろいろなことをし、それでどうしようもなくなったら祈る人がいますが、それでは神の力を得ることは難しくなります。聖書には、「心配するのはやめなさい。・・・神の国と神の義をまず第一に求めなさい。」(マタイ、6・31.33)とあります。心配したり、悩んだりするのではなく、神に心を注いで祈ることを第一にするのです。そして、大祭司エリが、その願いを適えてくださるように、と答えたら、ハンナはそれを信じて、悩むことをやめたのでした。祈りというものは、悩みや苦しみが無くなるまで祈ることが大事です。

ハンナには男の子が生まれ、その子をサムエルと名付けました。サムエルは3歳になると、親から離れ、神殿で育てられました。お母さんのハンナも寂しく、サムエルも不安でした。でも、サムエルは、神に仕えて生きる者として育てられ教えられていたので、頑張ったのです。

 ハンナは、手作りの祭司服を作り、上着も作り、毎年神殿に届けました。しかし、神殿にいた大祭司エリの二人の息子は「よこしまな者で」(2・12)、脂肪は焼いてから残った肉を食べてよいのに、神に献げる前に脂肪付きのままで食べていました。神様は、この時、言われました。「わたしは、私を尊ぶ者を尊ぶ。わたしを蔑む者は軽んじられる。」(2・30)

「少年サムエルはますます成長し、主にも、人にも愛された。」(2・26)

イスラエルの国は、信仰的には悪くなる一方で、「主のことばは、まれにしかなく、幻も消えていた。」(3・1)。それでも、少年サムエルは神殿で一生懸命に働き、夜は神の箱が安置されている神殿で寝ていました。ある夜、「サムエル、サムエル」という声を聴き、飛び起きて大祭司エリの寝床へ行き、ご用ですか、と尋ねます。エリは、「私は呼ばない。帰ってお休み。」(3・6)と答えます。もう一度、神はサムエルに呼びかけます。それが神からの語り掛けであることに気が付かないサムエルは、またエリの所に行きます。3度目にエリは、それがサムエルへの神の語り掛けであることを教え、「主よ。お話しください。しもべは聞いております。」と答えることを教えます(3・9)。

 神はサムエルに、「自分の息子たちが、自ら呪いを招くようなことをしているのを知りながら、彼らを戒めなかった罪」の為、エリとその息子たちを罰することを語ります(3・13)

 「サムエルは成長した。【主】は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とされなかった。こうして全イスラエルは、ダンからベエル・シェバまで、サムエルが【主】の預言者に任じられたことを知った。【主】は再びシロで現れた。【主】のことばによって、【主】がご自身をシロでサムエルに現されたからである。」(Ⅰサムエル3・19-21)

 神様が現れず、私たちに黙っておられ、何の働きもしない時は、神を真剣に信じる人がいないからです。もし、わたしたちが、神を信じ聖書に忠実に生きているならば、神は語り掛けてくださいます。その時は、「主よ。お話しください。しもべは聞いております。」と答えるのです。親が子の為に祈り、間違いをただすことが親の責任であり、そうしないならば、親は責任を問われます。

Ⅰサムエル1章20~28節

  • 1:20 日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を【主】に願ったから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。
  • 1:21 夫のエルカナは、家族そろって、年ごとのいけにえを【主】にささげ、自分の誓願を果たすために上って行こうとしたが、
  • 1:22 ハンナは夫に、「この子が乳離れし、私がこの子を連れて行き、この子が【主】の御顔を拝し、いつまでも、そこにとどまるようになるまでは」と言って、上って行かなかった。
  • 1:23 夫のエルカナは彼女に言った。「あなたの良いと思うようにしなさい。この子が乳離れするまで待ちなさい。ただ、【主】のおことばのとおりになるように。」こうしてこの女は、とどまって、その子が乳離れするまで乳を飲ませた。
  • 1:24 その子が乳離れしたとき、彼女は雄牛三頭、小麦粉一エパ、ぶどう酒の皮袋一つを携え、その子を連れ上り、シロの【主】の宮に連れて行った。その子は幼かった。
  • 1:25 彼らは、雄牛一頭をほふり、その子をエリのところに連れて行った。
  • 1:26 ハンナは言った。「おお、祭司さま。あなたは生きておられます。祭司さま。私はかつて、ここのあなたのそばに立って、【主】に祈った女でございます。
  • 1:27 この子のために、私は祈ったのです。【主】は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。
  • 1:28 それで私もまた、この子を【主】にお渡しいたします。この子は一生涯、【主】に渡されたものです。」こうして彼らはそこで【主】を礼拝した。