「あなたを大いなる国民とする。」 創世記45章25~46章4節

エジプトに7年の豊作と7年の飢饉がおこりましたが、飢饉の原因は歴史的には殆ど自然災害でした。現代では、「地球温暖化」の時代は、「地球沸騰化」の時代になったと警告されています。温室効果ガスの削減が義務化されていますが、時遅しという感です。暑さ対策として「冷房を掛けて家の中にいる。」とのことですが、電力の消費は増え、健康も害されて行きます。もはや留まることはできない人類崩壊の状況ですが、前にお話ししたように「病気になる。身体が衰える。」とわかっていても何もしないのが、人の常であり、愚かさなのです。ヤコブのように家族全員で逃れるところはあるのでしょうか。「救いの計画」に入ろうとしているのでしょうか。

ヨセフが生きていてエジプトの支配者になっていると告げても信じられなかったヤコブですが、豪華な迎えの車を見ると信じて元気になるのは、現実思考のヤコブらしいですね。そして、自分が「死ぬ前に彼に会いに行こう。」(28)と、直ぐに行動に移るのは、衰えていない証拠で、この後、「ヤコブはエジプトの地で十七年生きた。」(47・28)のです。

「ベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえを献げた。」(1)のは、アブラハムがゲラルの王アビメレクに「あなたが何をしても、神はあなたと共におられます。」(21・22)として契約を結んだ場所だからです。アブラハムは、「そこで永遠の神、主の御名を呼び求めた。」(21・33)。信仰とその記念の行為は子供たちに語り聞かせることが大事です。ヤコブはベエル・シェバで、同じように神を呼び求めたのでした。

すると、神が夜に幻の中でヤコブに語り掛けます。

「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。」(3)

ヤコブの人生は、自らの知恵と能力で切り開いたものでした。兄エサウにレンズ豆の煮物で長子の権利を譲らせたこともあり、子ヤギの肉で父イサクの祝福をだまし取ったりしました。それでエサウから憎まれ命を狙われて家を出た時に住んでいたのもベエル・シェバです。

狡猾な叔父ラバンの下で働いても、抜群の能力と神の祝福で繁栄します。しかし、エサウを騙したヤコブは、ラバンや妻たちに騙され、悪の報いを悟らされていきます。それでも、「私の父の神は私とともにおられる。」(31・5)ことを知っていました。

神からの祝福を得る秘訣は、神に祝福を求めることですが、実は多くの信仰者が、それをしないで自分が立派で忠実な信仰者であるようにと意識しているのです。

 ニワトリを飼い始めて、様子を見ていると非常に面白いものです。「チキンヘッド」とは、3歩あるくと全てを忘れてしまうお馬鹿さんという意味ですが、実際には自己防衛と生存の為にしっかりと判断しています。餌を食べ続けることと、どこでも糞を落とし、何かあると直ぐに逃げ、夜は枝に止まって寝ています。目先のことしか考えていないことは事実かもしれません。楽天的なので、餌や水の補給義務を強く感じて、世話をしています。彼らは、私が祝福します。

 神は、ヤコブを選びました。ヤコブでなかったら、このような偉大なことはできなかったでしょう。子ども達の中で個人的に救われたのは、ヨセフとユダだけだったけれども、その一族は選民イスラエルとして大いなる働きをし、大いなる国となり、現代まで続くユダヤ民族となるのです。現代のイスラエルの国民は、ユダ民族と献身した祭司のレビ部族だけです。ベニヤミン部族は、士師記の後半で頑なさのゆえに滅びることになりました。つまり、ヤコブの子孫、イスラエル民族は大いなる国となるのですが、その後の経緯で頑なに悔い改めなかった部族は絶やされ、結局は、神に仕え続けたユダ部族とレビ部族が残っていくのです。

 私たちにとって人生とはなんでしょうか。

 私自身、多くの時間、機会、能力が与えられました。しかし、それを自分のものとして奢り高ぶるならば、いつでも神の国への入口が閉ざされるでしょう。魂の救い、平安の維持というのは、それほど難しいものです。艱難辛苦は全て、神に付くか、世に付くか、の選択肢でした。

 最後の難関、人生の終末期に与えられた神からのチャレンジは、この万物の終わりの時に、箱舟たる教会を建て上げることです。

 牧師を長くして、人の心を変えることは誰にも神にもできないことを悟りました。その人がたとえ聖霊の感化を多く受けたとしても、その人がそれに信仰をもって反応しなければ、神はその人に対して何もできない。それは、神が人をロボットではなく、人格を持った存在として造ったからです。私がどんなに執り成しをし働きかけても、頑なな心を動かすことはできないものなのです。

 私ができることは、心を尽くし力を尽くして神に仕え、人に仕え、神に捧げて生きることです。「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」(Ⅰペテロ4・7)。

 私が神の国の民となるには、それしかないのです。皆さんが、神の国に入るかどうか、それは残念なことに私には関知できないのです。

創世記45章25~46章4節

  • 45:25 彼らはエジプトから上って、カナンの地、彼らの父ヤコブのもとへ戻って来た。
  • 45:26 彼らは父に告げた。「ヨセフはまだ生きています。しかも、エジプト全土を支配しているのは彼です。」父は茫然としていた。彼らのことばが信じられなかったからである。
  • 45:27 彼らは、ヨセフが話したことを残らず彼に話して聞かせた。ヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見ると、父ヤコブは元気づいた。
  • 45:28 イスラエルは言った。「十分だ。息子のヨセフがまだ生きているとは。私は死ぬ前に彼に会いに行こう。」
  • 46:1 イスラエルは、彼に属するものすべてと一緒に旅立った。そしてベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえを献げた。
  • 46:2 神は、夜の幻の中でイスラエルに「ヤコブよ、ヤコブよ」と語りかけられた。彼は答えた。「はい、ここにおります。」
  • 46:3 すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。
  • 46:4 このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。そしてヨセフが、その手であなたの目を閉じてくれるだろう。」