「選びを捨てたユダ。」 使徒の働き1章16~26節 

イエス様が12使徒を選んだ時に、「イスカリオテのユダで、このユダが裏切る者となった。」(ルカ6・16)と書かれ、「「『いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。けれども、あなたがたの中に信じない者たちがいます。』信じない者たちがだれか、ご自分を裏切る者がだれか、イエスは初めから知っておられたのである。」(ヨハネ6・63.64)と言われています。その後、直ぐに「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかし、あなたがたのうちの一人は悪魔です。」(同70)。

つまり、イエス様は、イスカリオテのユダには御霊が感化せず、いのちも与えられずに、ただイエス様を裏切る為にサタンに選ばれた人がユダであると伝えているのです。私たち日本人は、何事も良き結果が現れることを願い、人に期待し、悪いことを予測することは不信仰だと考える傾向があります。自他の罪性を認めず、性善説に立っているのです。

「イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った。ユダは行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡すか相談した。彼らは喜んで、ユダに金を与える約束をした。ユダは承知し、群衆がいないときにイエスを彼らに引き渡そうと機会を狙っていた。」(ルカ22・3-6)。ユダが救われていないこと、イエス様に従う気持ちがないことは明らかです。「サタンが入った。」というので、悪意に満ちていたのでしょう。積極的にイエス様を殺そうとしたのです。

最後の晩餐の時に、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。しかし見なさい。わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓の上にあります。人の子は、定められたとおり去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。」(同20-22)。現在の聖餐式に参加しながら、ユダの思いがイエス様を殺そうと躍起になっているのです。

ヨハネも、その時のことを記しています。「ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。すると、イエスは彼に言われた。『あなたがしようとしていることを、すぐしなさい。』」(ヨハネ13・27)。つまり、サタンとユダに、決然と戦いを挑んでいるのです。

このような姿勢は、戦いを恐れ、或は避ける日本人の姿勢とはかなり異なります。むろん、日本には、大戦時の恐れや後悔が残っているのかもしれません。しかし、それは、日本軍自体が誤った行動を取り、戦時統制をしてきたものです。

「ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。『今、人の子は栄光を受け、神も人の子によって栄光をお受けになりました。』」(ヨハネ13・30)。目先の勝負けにこだわり、神の絶対的統治を信じない者には、ユダが裏切ろうと動いていたことに腹が立つでしょう。

私も、30年ほど前に教会を乗っ取ろうとした人々、14年前の会社を乗っ取ろうとした人々のことを思い出します。彼らは、勝てると思っていたのでしょうが、私から見たら、とても力不足でした。大事なことは、私が興奮せず、人々の動静を見て、適切に行動することでした。

イエス様は、ご自分を裏切り、十字架に掛けようとするユダを見守っていたことでしょう。それは、死を恐れてイエス様を否定するペテロ達とは全く違う、悪の働きでした。

悪や罪人は、知識や論理によって動きます。信仰者は、神の義を守り、御霊に満たされて生きることを保ちます。感情的になる人は、サタンや罪の影響、惑わしにかかりやすいのです。イエス様は、十字架に掛けられ死んでしまい、まさにサタンと罪の勝利のようでした。

「イエスを売ったユダはイエスが死刑に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちと長老たちに返し」(マタイ27・3)、「彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、出て行って首をつった。」(5)。「このユダは、不義の報酬で地所を手に入れたが、真っ逆さまに落ちて、からだが真っ二つに裂け、はらわたがすべて飛び出してしまった。」(使徒1・18)とは、この代価で買われたのが、自殺した場所であり、首を吊ったけれど、この場所に落ちたのでしょう。

サタンに惑わされた人々は、利用された後に、自殺することがよくあります。後悔しても、自分の行ったことを、神の前に悔い改めることはできません。悔い改めは聖霊の御業です。私は、悔い改めなかった人々の末路を多く知っております。

殉教した12使徒の代りは立てられませんでしたが、裏切った者の名前が残ってはなりません。候補者二人の内からマッティアがくじで選ばれました。先日、教会からの除籍を願い出た人から洗礼証明書を求められましたが、棄教した人に対して洗礼の証明書は出せません。教会籍から、洗礼を受けたという証拠を除いてくれということは、天国における名簿からも除かれたということです。自ら犯した罪です。残念です。

使徒の働き1章16~26節

  • 1:16 「兄弟たち。イエスを捕らえた者たちを手引きしたユダについては、聖霊がダビデの口を通して前もって語った聖書のことばが、成就しなければなりませんでした。
  • 1:17 ユダは私たちの仲間として数えられていて、その務めを割り当てられていました。
  • 1:18 (このユダは、不義の報酬で地所を手に入れたが、真っ逆さまに落ちて、からだが真っ二つに裂け、はらわたがすべて飛び出してしまった。
  • 1:19 このことは、エルサレムの全住民に知れ渡り、その地所は彼らの国のことばでアケルダマ、すなわち『血の地所』と呼ばれるようになっていた。)
  • 1:20 詩篇にはこう書いてあります。『彼の宿営が荒れ果て、そこから住む者が絶えますように。』また、『彼の務めは、ほかの人が取るように。』
  • 1:21 ですから、主イエスが私たちと一緒に生活しておられた間、
  • 1:22 すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした人たちの中から、だれか一人が、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」
  • 1:23 そこで彼らは、バルサバと呼ばれ、別名をユストというヨセフと、マッティアの二人を立てた。
  • 1:24 そしてこう祈った。「すべての人の心をご存じである主よ。この二人のうち、あなたがお選びになった一人をお示しください。
  • 1:25 ユダが自分の場所へ行くために離れてしまった、この奉仕の場、使徒職に就くためです。」
  • 1:26 そして、二人のためにくじを引くと、くじはマッティアに当たったので、彼が十一人の使徒たちの仲間に加えられた。