「神の国に憧れて故郷を出る。」 へブル11章8~16節

故郷の前橋を出て50年、どのようになっているか訪れてきました。駅近くの実家はなくなり、モダンな家が建っていました。中央小学校は廃校となり、近所も市街もすっかり変わっていました。郊外に出ると店や家がどこまでも続き、発展していました。

貧しい草履職人の9人兄弟の末子として育ち、関わる人々が因習の中に沈んでいるのに心を痛め、ここには住みたくない、と決意して勉学を志したのは中一の春でした。

甘ったれで恥ずかしがり屋、消極的で運動も音楽もダメな平凡な男子だった自分の改造を志したのは、まだ知らない神に訴えたことによる聖霊の感化だったと思われます。感情的な性格を変えようと自分を吟味したことが、現在の自分が祈り深い要因だと思われます。教えてくれる者もなく、経験も環境も向学心には向かない状況で、失敗は許されないと自戒しました。

中学に入ると裏の2階に私の部屋をもらいました。前橋を出るには前橋高校に入学するしかありません。英語など全くわかないのですが、塾に通う金はないので、参考書を買って必死に勉強すると突然わかってきました。入学時には数学だけ5でしたが、卒業時には体育と美術以外は5でした。

前橋高校には、各地から優秀な生徒が通っていましたが、真剣な受験勉強が実って、中学と変わらないくらいの成績でした。家の経済状況から国公立大学しか受験できませんが、一流の進学校なので、学内順位から入学可能な大学が直ぐにわかりました。会社員ならば郷里にいるのと変わらないので、自分の力で生きる為に、資格や交渉術やリーダーシップを身に着けようとしました。しかし、思い返せば順調に成績が上がり過ぎたのと、個人指導を受けなかったので、基本を身に着けた学力はついてなかったようです。ともかく、自己改造に夢中でした。田舎に住んで、人のうわさや陰口を気にする生活をしたくなかったのです。夕方になると利根川の岸辺に行き、心の渇きを雄大な自然の中で潤して、自らを励ましていました。

アブラハムが育ったカルデヤのウルは、当時はユーフラテス川がペルシャ湾に注ぐ河口にあるシュメール人の古代都市です。広大なメソポタミア平野の中心都市なので、高さ8m、幅25mの城壁に囲まれた豊かな都市で、多くの楔形文字文書が発掘されています。月神ナンナを守護神として大きなジッグラト(神殿)が建てられていました。それは、南北1200m、東西800m、高さ20mの巨大なものです。

このように巨大な宗教施設のある都市は、町を挙げてその宗教行事に陶酔し、それに加わらない人々を阻害します。テラは神の子の系図に入る直系なので、創造神のことは十分教えられて育っていたはずです。そこで、神の導きによりウルを出て、カナンに向かうつもりでしたが、途中のハランにとどまってしまいます。正しい信仰に導かれながら、途中でやめてしまう信者を「ハラン信者」というそうです。ウルからハランまで千キロほどですが、やはり同じ月の神ナンナを祀っていたので、テラは宗教的には堕落しており、安住してしまうのです。

家族は創世記11章を見れば、息子のアブラムと妻サライ、弟のナホルとミルカ、そして死んだ末弟の子のロトがいました。ハランに残るナホルの子孫は、イサクやヤコブを騙すことになる嫌な人々であり、ロトは後に見るように意志の弱い男でした。この家族の中でアブラハムは、真っ直ぐな信仰を保ったのです。

「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」(創世記12・1)。信仰は個人のものです。家のものでもなく、受け継ぐこともできません。私たちは、親の考え方や風俗に縛られては、神への信仰を形成することはできません。

「アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み」(へブル11・8.9)。私は、目論み望んだ大学には、突然の高熱で合格せず、まさかの大学に入り、希望は途絶えたかに思えました。しかし、信仰に結びついた時、その後の試練は問題ではありませんでした。最終的に行くべきところ、神の国を知っていたからです。

イサクの妻リベカは、ナホルの子ベトエルの娘ですが、ハランの風土と人を騙す兄ラバンを嫌っており、顔も性格も知らないイサクとの結婚に、神の導きを信じて旅立つのでした。創世記24章。

「彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。」(16)。この地上の生き方に執着するか、神の国に憧れて歩むか。旅立ちを決心してから救いに至るまでの十年、神が共にいてくださったことを思い見ます。

へブル11章8~16節

  • 11:8 信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。
  • 11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました。
  • 11:10 堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都の設計者、また建設者は神です。
  • 11:11 アブラハムは、すでにその年を過ぎた身であり、サラ自身も不妊の女であったのに、信仰によって、子をもうける力を得ました。彼が、約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
  • 11:12 こういうわけで、一人の、しかも死んだも同然の人から、天の星のように、また海辺の数えきれない砂のように数多くの子孫が生まれたのです。
  • 11:13 これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。
  • 11:14 そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。
  • 11:15 もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。
  • 11:16 しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。