「預言者を模範に生きる。」 ヤコブ書5章7~16節

ロシアのウクライナ軍事侵略が起こる直前までウクライナ国民やキエフ市民は避難することもなく、普通に暮らしていたそうです。日本国民の平和ボケも酷いもので、戦争はもちろんのこと、頻発している自然災害への備えも殆どしていないようです。北朝鮮がロケットを東京に発射したら直ぐに崩壊します。中国が台湾に侵攻した時、日本が対抗したら戦争に巻き込まれます。クリスチャンは決して非戦論ではなく、戦いを仕掛けてくる敵を常に覚悟し、家族や国を守るために戦う覚悟をしていないといけないのです。戦う覚悟のない人々を襲うことは簡単なことで、サタンも容易に惑わします。

犯罪者が悪いことをするのは捕まらない、罰せられないと思っているからです。罪びとである人間は、神の裁きを信じていません。神の裁きや神の国を信じるのは、自らの罪に気が付き、悔い改めた人だけです。ですから、救われるのです。

皆さんがこのようなコロナ感染の危険の時に教会に来ているのは、神を信じている証拠でしょう。神を信じていなければ、そのような危険を冒さないでしょう。私たちは、日常の生活によって神を信じているかいないかの証明をしているのです。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り、その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。」(へブル11・6.7)

この時代の不義に気が付かないで普通に生きてはいけないのです。「神から警告」を悟らないのは、この世の人々です。私たちが、「恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造」るということは、教会造りです。人々のあざけりや批判にもかかわらず、犠牲を払って箱舟である教会を建て上げることが信仰の証明であり、「その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。」。

桜や梅、桃の花芽が膨らみ、春がいよいよ来ようとしています。冬の寒さの中で木々を剪定し、柵や農地を整え、腐葉土を作り、寒肥を施したのは春の成長の為でした。寒さの中で働かなければ、春に備えられないのです。厳しい社会の中で教会づくりに励んでいるのは、「主が来られる時が近づいているからです。」((8)

預言者は、神の言葉を預かり、それを人々や社会に語る者です。クリスチャンとは、「全世界に出て行き、全ての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16・15)というイエス様の命令を受けているので、世に語る預言者として生きる使命を持っています。そういう意味でも、「苦難と忍耐については、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。」(10)とは、そのようなことなのです。

政府や医療機関の勧めにも関わらず、新型コロナ対策のワクチンが殆ど効かないことが知られてきました。イギリスでは一切の対策をやめました。ところが、そのことを検索すると直ぐに、警告が現れます。言論統制です。マリヤ・クリニックに長年来ていたお婆さんが、ワクチン接種をしないというので他の医院に行くようになりました。結局のところ、私たちよりも政府を信じたのだからしょうがありません。悲しくも思いました。

「耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。」(11)。

14節から16節までの病の癒しの為の祈りは、感動的です。「信仰による祈りは、病んでいる人を救います。主はその人を立ち上がらせてくださいます。」今や、世界中で教会に病の癒しのために来る人はいなくなりつつあります。牧師でさえ、教会に来ないでコロナ対策をしろという始末です。その信者が感染し、入院しても、近寄らないのでしょうか。信仰による祈りの効果を信じていないのでしょう。神が悲嘆に暮れている人々を立ち上がらせてくださると信じていないのでしょう。

「『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。』しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、頑なで悪い心のはかりごとによって歩み、前進どころか後退した。」(エレミヤ7・23.24)。「わたしはそれを受け入れない。かえって、剣と飢饉と疫病で、彼らを立ち滅ぼす。」(エレミヤ14・12)。試練や艱難の時ほど、信仰に立ち返り、耐え忍んで生きなければならないのに、感染を恐れて偽りの平安を語る偽預言者が起こるのです。(エレミヤ14・13-16.)。

これからの時代、本物の信者か見せかけの信者かがはっきりとしてくる時代になってきます。それが終末というものです。

ヤコブ書5章7~16節

  • 5:7 ですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。
  • 5:8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。
  • 5:9 兄弟たち。さばかれることがないように、互いに文句を言い合うのはやめなさい。見なさい。さばきを行う方が戸口のところに立っておられます。
  • 5:10 兄弟たち。苦難と忍耐については、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。
  • 5:11 見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。
  • 5:12 私の兄弟たち。とりわけ、誓うことはやめなさい。天にかけても地にかけても、ほかの何にかけても誓ってはいけません。あなたがたの「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」でありなさい。そうすれば、さばきにあうことはありません。
  • 5:13 あなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい。
  • 5:14 あなたがたのうちに病気の人がいれば、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
  • 5:15 信仰による祈りは、病んでいる人を救います。主はその人を立ち上がらせてくださいます。もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
  • 5:16 ですから、あなたがたは癒やされるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。