「裏表なく一心に生きる。」 ヤコブ書1章21~27節

政治も経済も混迷な時代に入っています。どう生きてよいのかわからない人が多くなり、仕事も勉強も身が入らなくなっているようです。まして、子供たちはそういう大人の動静をつかみ、学校に行きたがらず、ゲームや遊びに時間を費やすようになっています。そういう子供たちに対して、大人は学業を促す言葉を失ってきています。

 世界中が漫然とした将来不安に陥っています。日本の将来が安泰だと考えている人は、殆どいないでしょう。災害不安としては、地震、富士山噴火、洪水、異常気象。社会不安としては、戦争、犯罪、暴力、治安。経済不安としては、不況、物価高騰、年金・給料の不足、企業倒産。家庭不安としは、老後、養育、病気、子育て。他にもいっぱいあるでしょう。どうしたら良いかわからないのに、昔と違って、宗教に頼る人は殆どいなくなりました。サタンの戦力通りに、国の進化論教育が功を奏しています。

 それだけでなく、クリスチャンであるということで「人々はあなたがたを苦しみにあわせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。」(マタイ24・9)。それは、「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。」(同12)からです。つまり、終末になるのです。

 私は囲碁が好きですか、かなり下手です。上手な人は、相手を誘いこんで一気に石を奪い取ります。サタンは、指導者を競争と戦争に追い込んで争わせる前に、進化論教育と快楽追求、そして家庭と道徳の破壊に至らせ、人々を逃げようのないようにしてからめとろうとしているのです。

 「そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。もしその日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのために、その日数は少なくされます。」(同21.22)。

 さて、そのような緊迫な時でも、生きることに身が入らない人は、時に応じた行動をとることができません。それは、このようなイエス様の警告に対して、真摯にとらえていないからです。「みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。」(ヤコブ1・23)。鏡を見る時、人は自分の顔を認め喜びます。自分の顔を嫌う人はあまりいません。ただ、化粧をして自分をよく見せようとすると、欠点が見えてくるかもしれませんが。

 自分の顔を見て、満足するのが普通です。「み言葉を聞いても行わない人」は、聖書を読んでも、説教を聞いても、「自分は間違っていない。聖書をわかっている。」と悔い改めず、心にも留めない人です。 「すべての汚れやあふれる悪を捨て去り」(21)、自分を聖くしていくことが、信仰者にとってどんなに大事なことでしょうか。

 「心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。」(21)。クリスチャンはこの世の人々には「変人」、「社会知らずの人」、「キリスト馬鹿」と言われます。それを誉め言葉と受け容れたらよいのです。クリスチャンらしさを失うと、神の祝福と守りを失います。私たち夫婦は、既に変人扱いをされています。そして、毎日の「みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」(21)。

「自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない」(25)ことができたらなんと素晴らしいことでしょう。私自身は、そのように生きたいと思っていますが、この世の雑事に追いまくられています。或いは、手を抜いて生きることで失敗をしてしまいます。そして、祈るたびに悔い改めがおこります。

「すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」(25)。数年前、歯茎が弱まり、グラグラしてきました。歯磨き粉を選び、必死に歯磨きを重ねています。少しずつ、安定してきましたが、堅い物を食べると、グラッとして痛みます。他の人を見ると、そういう面倒なことを嫌うか、怠る人がいます。未だ入れ歯はないのですが、日々の努力の結果が、祝福になると歯茎を通じて実感しています。祈りの中で導かれたことは、実践するようにしています。

 神様の教えを「一心に見つめて」生きることを心がけますが、殆ど自分の考えや判断をもっと生きてしまいます。罪びとであり、先週語った「自分勝手」(イザヤ53・6)から変えられることは、御霊による以外には成しえません。仕事と為すべきことに囚われていると感じています。会堂建設まではという一心と、自分の聖めの一心のジレンマに苦しんでいます。主に委ね、悔い改めるばかりです。

ヤコブ書1章21~27節

  • 1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
  • 1:22 みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。
  • 1:23 みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。
  • 1:24 眺めても、そこを離れると、自分がどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
  • 1:25 しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。
  • 1:26 自分は宗教心にあついと思っても、自分の舌を制御せず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。
  • 1:27 父である神の御前できよく汚れのない宗教とは、孤児ややもめたちが困っているときに世話をし、この世の汚れに染まらないよう自分を守ることです。

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MYoshi
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