「主の霊がサムソンを動かした。」 士師記16章25~31節
サムソンは、聖書の中でも特異な存在です。決して、信仰深くはなく、祈り深くもなく、感情的で情欲に溺れ、頑固で喧嘩早く、力任せの暴力漢でした。信仰深いというわけでもないのですが、自分が窮地に陥ると神に助けを求め、助けられるとカラッと忘れて力任せに人を支配するのでした。敬虔な信仰者にとっては、苛立つような振る舞いと人間性です。
サムソンが生まれたのは、「イスラエルの子らは、主の目に悪であることを重ねて行った。そこで主は四十年間、彼らをペリシテ人の手に渡された。」(士師記13・1)という状況でした。
マノアというダン部族の妻に主の使いが語り掛け、「今後あなたは気をつけよ。ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。見よ。あなたは身ごもって男の子を産む。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから、神に献げられたナジル人だから。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」(同4)と突然宣言しました。サムソン(神に仕える)と名づけられた子に「主は彼を祝福された。」(24)。
サムソンはペリシテ人の娘を妻に迎えると言うので、両親は反対します。「彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主は、ペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたのである。」(14・4)。私たちは平和や理解しあうことを願いますが、神の御手の中で戦争や争い、そして事件が起こることもあるのです。何かというと平和を祈る人もおりますが、それは自分にとって都合の良いように願う未信者の願いです。全知全能で世界を統御される神は、人の罪や悪を把握した上で御心をなされるのです。終末が近づいているということを悟ったら、政治や経済を一喜一憂するのではなく、それに備えて「用心していなさい。」(マタイ24・44)ということが大事です。もはや平和や繁栄は求めても人間の浅はかさで却って馬鹿を見ることになるでしょう。
さて、サムソンの乱暴狼藉は続きます。ペリシテ人の妻の要求は、結局のところペリシテ人に対するサムソンの無謀な狼藉に繋がります。300匹のジャッカルの尾を繋いでたいまつを括り付けて麦畑やオリーブ畑を燃やしてしまうなどという狼藉をするのです。
支配者のペリシテ人の武力を恐れたユダの人々3千人がサムソンを責め縛り上げてペリシテ人に渡すと、サムソンは千人を打ち殺します。「 そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主を呼び求めて言った。『あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えてくださいました。しかし今、私は喉が渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。』すると、神はレヒにあるくぼんだ地を裂かれたので、そこから水が出た。」(15・18)。神の偏愛ですね。私たちクリスチャンも、神のえこひいきを求めても良いのです。先週の祈祷会に出た方には、私の常識はずれな願いを祈ってくれと伝えました。私は、神に特別扱いされていると信じています。サムソンには敵いませんが。
ペリシテ人の領主たちは美女デリラを利用してサムソンの力の秘密を探ります。美女デリラの色香に惑わされて真実を言ってしまいます。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎にいるときから神に献げられたナジル人だからだ。もし私の髪の毛が剃り落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなって普通の人のようになるだろう。」(16・17)。サムソンはナジル人「聖別された人」らしくない勇者ですが、それでも神はサムソンをナジル人として特別な力を注いでくださっていたのです。
クリスチャンになるということも同様で、自分中心に生きてきたことを認め、主イエスの十字架の刑は自分の罪の贖いの為であると信じ、魂の救いを求めたならば、神は私たちを特別扱いされるのです。それをこの世の功績能力思考に惑わされて、自分はクリスチャンの資格がないとか、神から祝福を受けることができないと惑わされてはいけないのです。
髪を剃られて力を失い、両目を抉り出されたサムソンですが、牢の中で髪の毛も伸び始め、力がよみがえってきました。そして、28節の願いを神に呼び求め、ダゴン神の神殿の柱を倒し、多くのペリシテ人と領主たちを殺したのです。
「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」(ゼカリヤ4・6)と主は言われました。神を信じ、聖霊に満たされることこ
そ、信仰者にとって大事なことなのです。
士師記16章25~31節
- 16:25 彼らは上機嫌になったとき、「サムソンを呼んで来い。見せ物にしよう」と言って、サムソンを牢から呼び出した。彼は彼らの前で笑いものになった。彼らがサムソンを柱の間に立たせたとき、
- 16:26 サムソンは自分の手を固く握っている若者に言った。「私の手を放して、この神殿を支えている柱にさわらせ、それに寄りかからせてくれ。」
- 16:27 神殿は男や女でいっぱいであった。ペリシテ人の領主たちもみなそこにいた。屋上にも約三千人の男女がいて、見せ物にされたサムソンを見ていた。
- 16:28 サムソンは【主】を呼び求めて言った。「【神】、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。」
- 16:29 サムソンは、神殿を支えている二本の中柱を探り当て、一本に右手を、もう一本に左手を当てて、それで自らを支えた。
- 16:30 サムソンは、「ペリシテ人と一緒に死のう」と言って、力を込めてそれを押し広げた。すると神殿は、その中にいた領主たちとすべての民の上に落ちた。こうして、サムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。
- 16:31 彼の身内の者や父の家の者たちがみな下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び上げて葬った。サムソンは二十年間イスラエルをさばいた。
投稿者プロフィール
最新の投稿
今週のメッセージ2026年1月4日今週のメッセージ「勝利の教会。」 マタイ福音書16章18節 櫻井圀郎協力牧師
お知らせ2026年1月4日2026年1月4日 聖日礼拝
今週のメッセージ2025年12月28日「何も思い煩わず。」 ピリピ4章4~14節
お知らせ2025年12月28日2025年12月28日 聖日礼拝



