今週のメッセージ 「この岩の上にわたしの教会を建てます。」 マタイ16章16~25節

「この岩の上に」とは、「あなたは生ける神の子キリストです。」と告白する「信仰の上」にという意味です。そのすぐ後に、自らの受難を告げたイエス様に対して、ペテロが「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」と否定すると、主は「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」とペテロを激しく叱責しました。信仰告白をしたペテロですが、すぐに打算的な信仰姿勢を現して、間違った信仰は教会を形成するものではないと怒られるわけです。

 教会を建て上げる土台は信仰ですが、それを危うくするのが現世的価値観です。試練も迫害も反対もないほうが良いという考え方で、「多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならない」などということは、奇跡と栄光を現しているイエス様に起こるはずがない、神の教えは人々を圧倒して広まる、と信じることは当然なことです。しかし、それは「神のことを思わないで、人のことを思っている。」こととして、サタンの惑わしであると、強く警告されます。

 「この岩の上に」という意味は、「わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。」(マタイ7・24.25)のイエス様のことばを思い起こさせます。

 風水害、自然災害は人生には必ずありますが、「三匹の子豚」の兄さん達のように安易に草や木で家を作ったら、簡単に狼に倒されて命の危険に遭います。社会には自然災害だけでなく、悪人や敵もいるのです。

 イエス様は幾つかの「気をつけなさい。」を警告しています。⓵「人前で善行をしないように」(マタイ6・1)。②言い広めないように。(8・4、9・30、マルコ1・44)。③小さい者を軽んじたりしないように。(マタイ18・10)。④「人に惑わされないように。」(マタイ24・4)。⑤パリサイ人やヘロデのパン種に。」(マルコ8・15)。⑥虚栄を張り、地位に固執する人に(マルコ12・38)。⑦偽キリスト、偽預言者(マルコ13・22)。⑧戦争や戦争の噂に。(24・6)。⑨「自分のうちの光が闇にならないように(ルカ11・35)。「自分自身に」(ルカ17・3)。⑩「どんな貪欲にも」(ルカ12・15)。⑪「あなたがたの心が、放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように、突然あなたがたに臨むことにならないように、よく気をつけなさい。」(ルカ21・34)。

石垣や土台が崩れるのは内側からです。「岩」とは一枚岩のことでしょうか。教会の土台として、一枚岩であることは無理であるし、健全ではありません。歴史的に、教会は普遍的な信仰綱要や組織を模索してきました。しかし、社会が変わり、価値観や文化も変わる中で、それに固執する組織は、崩壊してきました。アッセンブリー教団が、いまなお成長するキリスト教教団であるのは、教理も組織も社会への対応も、変化させてきたからであると考えております。聖書は変わらないのですが、聖書を解り易くまとめようとすると、偏向が起こります。

 それでは、上に建つ教会はどのようなものでしょうか。

「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1・23)。身体というのは不思議なものです。医学的には不要だと思われていた部分も、大事な機能があることが次第にわかってきました。「からだの中で他より弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。」(Ⅰコリント12・22)。教会を構成する教会員一人一人は、聖霊の働きと導きの中で大事なのです。

 「教会」とは、生ける神の身体として世界に働く目に見えない公同の教会という意味と、地方教会という意味があります。弱小な地域教会の存在意義を否定するこの世的な価値観は、上述の「気を付けなさい。」というものです。

 自分の人生で上手くいかない時でも、神の御手の中で貴重な時です。社会の価値観で、自分を価値のないものとするのは、「気を付ける」ことです。私は功利主義的価値観が、クリスチャンの中にも入り込んでいることに警戒しています。また、価値のないこと、目立たないこと、優れていないこと、などを区別し、そこに力を注がないことも「気を付ける」べきことだと考えています。

 成果や優劣、能力に関わらず、結びつき支え合うのが教会です。石垣は接着剤を使わず、大小の石の噛み合わせによって支え合い、それが故に水を溜め込まないので、崩れません。教会が崩れないためには多様な人々によって築き上げられることが必要で、その害になるのが、信仰を形成するその人々の「気を付ける」べき態度や考え方なのです。

 この教会は42周年を迎えました。新会堂を、来やすく、入りやすく、利用しやすく、経済的にも負担のないものとして建て上げたいと願っています。教会の将来は、主に委ねるものです。

マタイ16章16~25節

  • 16:16 シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
  • 16:17 すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。
  • 16:18 そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
  • 16:19 わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」
  • 16:20 そのときイエスは弟子たちに、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と命じられた。
  • 16:21 そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。
  • 16:22 すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」
  • 16:23 しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
  • 16:24 それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
  • 16:25 自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。

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MYoshi
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