「目にし、耳にしている聖霊。」 使徒2章22~33節
聖霊のバプテスマは、人間の理性や知恵では捉えられない、超自然的体験です。もし、私が聖霊のバプテスマを体験していなかったならば、信仰生活を理性的、道徳的、合理的に過ごしていたかもしれません。
そうです。人は、自分自身を優先し、自分の納得のいくように判断し、行動します。これを自我と言い、罪を引き起こします。罪を認め、悔い改めても、神に自らを献げ義の奴隷とならなければ、「罪の奴隷となって死に至」(ローマ6・16)るのです。「あなたがたは、罪の奴隷であったとき、義については自由にふるまっていました。」(同20)。
クリスチャンになって、自分が罪人であることを認めても、多くの場合に、「義の奴隷」になっていないので、意識せずに「罪の奴隷」の状態であるのです。つまり、自分の価値観や考え方、生まれついての習慣に支配されて生きているのです。罪の奴隷は、自分が罪によって支配され、罪のおもむくままに判断し行動していることに気がついていません。自分の感性と判断が間違っているとは思わないで、罪のままに行動しています。
「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬことになります。しかし、もし御霊によってからだの行いを殺すなら、あなたがたは生きます。(同8・13)。神を信じていても、自分の性格を変えない、自分の考えを変えない、自分はこういう人間だと固執する、それが「義については自由にふるま」うことであり、滅んでいくのです。
夫婦というのは、その試金石です。夫婦は違う人格であり、異性であり、育った環境・家庭・状態が異なり、ある場合には、障害があり、病気があり、ハンデがあります。自分勝手な人間は、それに不満を言い、伴侶を自分の思い通りに変えようとします。それが「罪の奴隷」の姿です。育った家や親の状態、子供の状態、それも思い通りではないのが当然です。ところが、「罪の奴隷」は、それに腹を立てるのです。
現代日本人クリスチャンにとっての罠は、社会常識や荒立てない行動、妥協する姿勢です。祈りとは、神の御心を知り、なすべきことを教えられるのですが、多くのクリスチャンが祈りを形式的・儀式的にするだけなので、神が語り掛けることができないのです。また、罪人からの聖めがたりないので、聞く耳がないのです。「もし塩が塩気をなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられます。聞く耳のある者は聞きなさい。」(ルカ14・35)。
この世の人々は、私たちに塩気がなければ相手にせず、無関心であり、攻撃をしてきません。しかし、塩気があれば、攻撃をしてきます。私が、牧師になる決心をした時、千葉で伝道を始めた時、子育ての時、多くの攻撃がありました。私は、猛烈に祈り続けました。祈らないクリスチャンは神にとって役立たずです。祈らなければ、この世と戦うことはできません。却って、餌食となるだけです。
人生は戦いです。霊的に弱い人は負けて泣き崩れ、言い訳と泣き言、悲しみと苦しみに明け暮れるのです。祈祷会では、霊的に盲目になっており戦う勇気がなく、不満と弱音ばかりを吐いているイスラエルの人々を、モーセが強力な指導力で教え導き、自らの「信仰によって、人々は乾いた陸地を行くのと同じように紅海を渡りました。」(へブル11・29)と学びました。
先週は祈りの中で業者の不正に気が付き、取引をやめることができました。牧師として、社長として、事務長として、父親として、夫として、いつも真剣に祈っています。一つ一つのことを神に聞き、為すべきことを問い合わせ、自らの覚悟を決めて生きています。
真剣にいつも祈っていない人は、この世に負けます。そして、霊的に目覚めていないと、その負けをも受け入れてしまいます。
今日の聖句は、イエス様が死からよみがえられたことを宣言しました。大胆にありえない奇跡を語ったのです。そして、「私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。」(27)と叫んでいます。信仰者から信仰(塩気)がなくなったら、存在意義がなくなります。隠れキリスタンは、命を迫られる迫害の時代には神も同情し助けてくださいましたが、現代日本の隠れキリスタンは神に捨てられてしまいます。
イエス様は、私たちが弱いことをご存じなので、聖霊を送ってくださいました。聖霊は、「助け主」です。「その助け主がいつまでも、あなたがたと共にいる」(ヨハネ14・16)のです。
私には助け主が必要です。いつも助けられ、「教えられ」(26)、「その方が来ると、罪について、義について、裁きについて、世の誤りを明らかになさいます。」(16・8)。さらに、「今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊」(33)となって、私たちに奇跡や不思議、癒しをしてくださるのです。ところが、残念ながら、最近、聖霊のバプテスマも、奇跡も、癒しもあまり起こりません。それは、信じる人々がそれを願わないからです。長血を患っている女性は、イエス様に触れば癒されると信じて触りました。そのように聖霊の働きを信じ求める人が信仰者です。
使徒2章22~33節
- 2:22 イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、それによって、あなたがたにこの方を証しされました。それは、あなたがた自身がご承知のことです。
- 2:23 神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。
- 2:24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。
- 2:25 ダビデは、この方について次のように言っています。『私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることはありません。
- 2:26 それゆえ、私の心は喜び、私の舌は喜びにあふれます。私の身も、望みの中に住まいます。
- 2:27 あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。
- 2:28 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前で、私を喜びで満たしてくださいます。』
- 2:29 兄弟たち。父祖ダビデについては、あなたがたに確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日に至るまで私たちの間にあります。
- 2:30 彼は預言者でしたから、自分の子孫の一人を自分の王座に就かせると、神が誓われたことを知っていました。
- 2:31 それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。
- 2:32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
- 2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。
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