「聖霊を注がれる。」 使徒の働き2章1~6、14~21節  

 多くの人々は、自分勝手に生き、考えていて、天国があるなら、自分はそのまま行けると信じています。他の国に行くときには、パスポート・入国査証(ビザ)・出入国カードが必要で、更に学んだり、働いたりするときには、その許可証が必要です。そのチェックで、犯罪歴や渡航歴などが調べられ、入国審査では、入国の目的・滞在期間・滞在先などが確認されます。イスラエルへの渡航歴があると、アラブ・イスラム諸国では入国が拒まれることがあるので、イスラエルに入る時には、パスポートに入国スタンプを押されないように頼むことが普通です。イスラエルの出入国審査は、セキュリティ対策もあり、非常に厳重です。過去に同行した青年が、出国審査で2時間以上も掛かり、待っていた私たちは先に行くように指導されたことがありました。要するに、入国時はきちんとした身なりだったのに、帰りは楽だろうと考えて、刺青を見せる半袖の服だったのです。

 地上の国でも入国手続きは困難なものです。日本人は、最も外国に行くことが容易な国ですが、神の国に入る手続きを経ている人は最も少ない国かもしれません。

 主の弟子たちも、安易に神の国に行けると考えていました。しかし、十字架に掛かる主を裏切り、弟子であることを否定して隠れていたところに復活の主が現われました。先週お話ししたように、復活の主に会うほどに、彼らは自らの罪深さにおののいたことでしょう。

 魂の救いとは、自らの内に救いを得る何ものもない罪人であることを認めて悔い改め、ただ救い主イエスを見上げて救いを求めることによって恵みによって得られるものです。

 イエス様は、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」(使徒1・8)と約束されました。その力は、「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(同)という伝道の力です。

 クリスチャンが弱いのは、聖霊に満たされていないからです。聖霊に満たされていないのは、祈らないで悩むからです。祈ると言って、祈っていないのです。祈りながら神のことを思わず、神の霊に満たされることを願わず、どうしたら良いかと思い煩うのです。それは祈りではなく、思い煩いです。なぜ、思い煩うのでしょうか。それは、問題を自分の力で解決しようとしたり、原因を探ったりするからです。それでは解決できません。神に解決を求めず、努力や知恵、知識で解決しようとします。そして、人を責め、人に努力を求めるのです。それでも信仰者でしょうか。

 クリスチャンが祈らなければ、ただの人です。祈り聖霊に満たされれば神の人です。この違いは大きいのです。イエス様は、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」(同1・4)と忠告されました。なぜ祈らないのでしょう。我が強いからです。この弟子たち以上に信仰を安易に考えているのです。

 思い煩うのも、我が強いからです。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ4・6)。思い煩わないで、感謝をしなければなりません。自分を神に明け渡すのです。

 イエス様の昇天十日後のペンテコステの日も、弟子たちは同じように2階座敷で祈りに専念していました。「すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。」(2.3)。

 「聖霊によるバプテスマを授けられ」(使徒1・5)たのです。この日が教会の成立の日です。教会は、聖霊に満たされることによって成立し、存続するのです。そして、その構成員が神の国に迎え入れられるのです。「約束の聖霊によって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。」(エペソ1・13.4)。

 受洗者証はパスポートであり、聖霊のバプテスマこそ、その証印です。パスポートは海外では常時携帯しなければなりません。この地上では、私たちは、常時聖霊に満たされていることが必要です。

 聖霊のバプテスマとは何かと教派によって異なります。私たちアッセンブリー教団は、聖霊のバプテスマを受けた「証拠」として「異言を語る」ことを教理としています。それは、この場面で現れる「言語としての異言の賜物」とは本質的に同じですが、解釈を必要とせず、自分の舌で神を賛美する体験として捉えています。「異言を語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。だれも理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。」(Ⅰコリント14・2)。「異言を語る人は自らを成長させます」(同3)。「私はあなたがたの誰よりも多くの異言を語っていることを、神に感謝しています。」(同18)。

使徒の働き2章1~6、14~21節

  • 2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
  • 2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
  • 2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
  • 2:4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
  • 2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、
  • 2:6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。
  • 2:14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。
  • 2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。
  • 2:16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
  • 2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
  • 2:18 その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。
  • 2:19 また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。
  • 2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
  • 2:21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』

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MYoshi
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