「主と共に過ごす日々。」 使徒の働き1章1~8節
イエス様は、復活後「数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。」(使徒1・3)。この時の状態は、これまでの生活とは違います。どこが違うのでしょう。
① 死んで甦られた主がおられた。
② イエス様を裏切った自分たちの罪深さを意識していた。
③ 神の国の現実が迫って感じられた。
しかし、実際の神の国とは違います。どこが違うのでしょう。
① この世の身体をまとっている。
② 相変わらず、罪と欲によって影響を受けている。
③ 身体が疲れ、病気やケガがある。
④ 常に主の臨在があるわけではない。
⑤ 信仰と努力が必要である。
それでは、神の国とはどんなものでしょうか。
① 神がともにおられる(黙示録21・3)。
② 死はなく、悲しみも叫び声も、苦しみもない。(同4)。
③ 主が光となって照らす。夜がない。(黙示録22・5)。
④ 人は御使いのようであり、復活の子として神の子。(ルカ20・36)
人がよみがえるということは、どうみても信じられないことです。その死からよみがえられたイエス様が「四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。」ことは、信仰生活を全く覆すものとなります。
イエス様とお会いする初期の頃は、最初の三ポイントを深く意識するものだったと思われます。主に会うほどに、その主を裏切り、逃げてしまった自らの罪深さを思い知らされます。
前に、イエスを裏切ったユダも、自殺しなかったら良い弟子になったかもしれないと語りました。聖歌433「弟子となしたまえ」には、「ユダにはなるまじ」と叫ぶけれども、実際には全ての使徒がイエス様を裏切り、捨てていたのです。私には、「ユダにはなるまじ」という叫びは、偽善者の告白のように聞こえます。弟子となるためには、「自分はユダのような裏切者であり、罪人である。」という自覚が必要です。
多くのクリスチャンが、立派な信仰者になりたいと思い、自分を装ってしまっています。パウロは「私は罪人のかしらです。」(Ⅰテモテ1・15)と、告白しています。「しかし、私はあわれみを受けました。」「キリスト・イエスがこの上ない寛容を私に示し」(同16)と自らの罪深さを認めているからこそ、「信仰と健全な良心を保ち、立派に戦い抜く」(18)ことが必要と教えているのです。
主が現れるからこそ、二番目の五ポイントが自覚されるのです。この自覚と戦いこそが、クリスチャンを弟子と変えていくのです。「主を信じ従う自分さえも、未だ罪と欲によって影響を受けている」という自覚があるからこそ、人を責めず変えようとせず、主に従い、為すべきことを結果を求めずに果たし、それでも弱さと愚かさを覚悟し、信仰を働かせ、努力を続けるのです。この地上では、自分の働きが必要なのです。
毎日、主が現われ語り掛けてくださる時に、いくら信仰に燃えても、決意を固めても、自らの弱さと罪深さを感じます。イザヤは、栄光の聖なる主の幻を見た時、自らの汚れを悟り、「ああ、私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも、万軍の主である王をこの目で見たのだから。」(イザヤ6・5)とのたうち回ります。
復活した主と平気で会えるほど聖い人はいません。「主と共に日々を」と歌い、主に語り掛けられることを望む人も多くおりますが、実際に主を見て、主に会ったら、自らの汚れに気が付いて身がすくみ、恐れおののくでしょう。
私は絶望の試練の時、嘆き苦しみ心臓が破れるほどのたうち回った時、主イエスの十字架の幻を見ました。圧倒されて、涙も苦しみもなくなり、ただ主に従うことを告白して、自分の思い通りにしようとしていることを悔い改めました。全ての試練と思い通りにならないことを受け容れたら、もはや十字架に従う者の平安だけがあるのです。
主が、天に昇られる前に、「聖霊のバプテスマを授けられる」(使徒1・5)ことを約束してくださいました。この地上では、聖霊に満たされなければ、平安も力も受けられません。知恵も、知識も、力も、この世の富も、実際には私たちに虚しさと無力を与えるだけです。聖霊に満たされることを求めましょう。
生身の身体、生まれるつきのままでは、神の国に入ることはできないのです。
使徒の働き1章1~8節
- 1:1 テオフィロ様。私は前の書で、イエスが行い始め、また教え始められたすべてのことについて書き記しました。
- 1:2 それは、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じた後、天に上げられた日までのことでした。
- 1:3 イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。
- 1:4 使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
- 1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
- 1:6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
- 1:7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
- 1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
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