「あなたには関りがない。」 ヨハネ21章18~24節

AIによれば、日本人の主な特徴は、礼儀正しく、秩序を重んじ、他者への配慮(気遣い)ができるという誠実な印象です。一方で、シャイでおとなしく、集団の和を好むため意見をはっきり言わない、仕事が丁寧だが時間がかかる、といった側面も指摘されています。集団での行動を好む傾向がある · 周りの意見を聞いて行動することがある · 目立つことを避けるとも言われます。

 私の観点からは、そういうものに囚われて、個人(内面)を形成しない、個人的交流が得意ではない、正否の判断を安易に付ける、他人や社会に影響されやすい、などを感じます。ともかくも、聖書の価値観とは全く離れた、世俗の折り合い、支配者にとって都合の良い相互干渉の価値観で形成された社会が日本です。ですから、クリスチャンになる人が少ないのです。

 人間の評価は、仕事ができる、人間関係が良く交渉ができる、見た目とセンスが良い、才能と人格が優れている、健康で運動神経が良い、などがあるかもしれません。

 ところが、神の評価は基本的に違います。

① 『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。マタイ7・21

良い木が悪い実を結ぶことはできず、また、悪い木が良い実を結ぶこともできません。良い実を結ばない木はみな切り倒されて、火に投げ込まれます。マタイ7・18.19

ここでの「神のみこころを行う」、とか、「良い実を結ぶ」ということは、この世の成功者になることではなく、「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が易しい。」(マルコ10・25)というように、この世の基準とは逆で、神を第一とする、この世では「愚かな者」(1コリント1・27)が神の選びなのだということです。

② 自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。マタイ10・38.39

 「自分の十字架」とは、自分の家族を含めた人々の罪と弱さを負うということで、周囲の人々は、この世の基準で私たちを攻撃し、責め馬鹿にしてくるのですが、その罪深さを甘んじて受けて、犠牲となりながら、なおも愛していくということです。

さて、ペテロは、自分の老後が「ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」(18)という、あまり良くないものだとイエス様に預言され、それでも、「わたしに従いなさい。」と言われました。ペテロは、12弟子の中でも最も言葉が早く、軽率で、人に勝ちたがる人でした。

 使徒ヨハネは、一番若く、「夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、『主よ、あなたを裏切るのは誰ですか。」」(20)と聞くような、調子の良い甘えん坊ですが、後にこの福音書や3通の手紙、黙示録を筆記するような聖霊に満ちた愛と奥義の使徒になるのですが、タイプとしては、ペテロと全く違います。それで、ヨハネはどうなるのか聞いたのです。

 人は、自分と違うタイプの人を批判したり、憧れたりします。ペテロは多血質ですから、好奇心旺盛で明るく、楽観的、社交的で周囲を明るくする陽気な気質です。ゆううつ質の人は、感受性が強く繊細、共感力が高い一方で、心配性や悲観的、非社交的になりやすい傾向があります。粘液質や胆汁質も違った個性があります。私などは、胆汁質でしょう。

 人を変えることはできないし、しようとしてもいけません。家族や友人の性格を理解できずに否定してしまうと、その関係は破綻してしまいます。他の人を思い通りにしようとすることが罪そのものです。ところが、そのような干渉を、自分では「愛しているから」、「良くしようと思って」、「問題を解決するために」などと正当化しているのが罪人なのです。

 「御霊は、御心のままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。」(Ⅰコリ12・11)、「身体はただ一つの部分からではなく、多くの部分から成っています。」(同14)。

 人が弱さ、愚かさと思っていることの多くは個性です。そして、個性が秀でるためには、どうしても偏ってしまいます。エリートや偉人など、みな周囲の人の犠牲によって成り立っています。人間は万能ではなく、力に満ちているわけではないので、全てにおいて十分ではないのです。そして、それこそが神の奥義であり、労りを学び、十字架を負うことが必要なのです。

 人に関わらない、好き勝手に生きたいと思う人はいるでしょうが、それは神の御心に適わないので、次第に人生が崩落していきます。人をうらやまず、批判せず、自分の十字架を負って生きるのです。

ヨハネ21章18~24節

  • 21:18 まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
  • 21:19 イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
  • 21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。
  • 21:21 ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。
  • 21:22 イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
  • 21:23 それで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスはペテロに、その弟子は死なないと言われたのではなく、「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか」と言われたのである。
  • 21:24 これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。

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MYoshi
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