「人の死の後先。」 Ⅰペテロ書1章17~25節

主イエス・キリストを救い主として信じた人の「国籍は天にあります。」(ピリピ3:20)。先週お話ししたように、人は悟りによっても、善行によっても、信心によっても天に上ることはできず、神が天から引き上げてくださらなければ、天国に行くことはできません。その代価は、「銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」(18.19)。

 私の友人の牧師は、すい臓がんに罹り、治療を断って、死を覚悟して余命を味わっております。そのような人との語らいは、この世の邪念や欲望から離れた清々しく、潔ぎの良いものです。その妻も、夫の覚悟を理解し、死を受け入れて世話をしています。見事な覚悟、人生観、信仰だと思います。彼は、「先生と出会えたことは私の喜びです。」とメールをくれ、「これからも主の業に励み、栄光を現わしてください。」と伝えてくれました。そのことを聞いた他の人と話すと、何かこの世臭く、財産処理とか、家族関係とか、処理しなければならないよもやま話になります。生きているという生臭さがあるのですね。

 人それぞれに生き方があります。今日、葬儀を行う柏崎みせさんは、神学生時代に私が教団の事務をしている大竹みせさんを見つけ、兄の嫁さんにぴったりだと思い、神学生派遣をされた中央福音教会で確認して牧師夫人に申し込んだのです。お互い一度もあってないのに、結婚相手だと信仰によって確信して見合いをし、1984年9月24日に柏崎昭二と結婚しました。

 ゼロからの教会開拓ですから、模範の信者はおりません。昭二・みせ夫婦が私たち牧師夫婦を助け、何から何までやってくれました。日曜学校で子供たちを教え、食事会では全員のカレーを作ってくれました。そのカレーは「カレーショップ・アンデレ」をやっていた昭二さんとは別の家庭的な非常に美味しいものでした。

 カレーショップの2階の狭いアパートに住みながら、1時間半掛かって東京の駒込の教団本部に早めに着き、教団会計を32年間担当しておりました。退職してから10年以上経っているのですが、今回教団理事長・理事会、前理事長、教団職員から弔電が届いているのは、その献身的な働きの故だと思います。後輩を丁寧に指導し、また支え、励ましてきたのです。

友人たちとの交流も深く親密なもので、体調を崩してからは、なおのこと、その友からの励ましや支援が深いものでした。

 祈り深く、夫婦で讃美をし、聖書を読み、また聖書全巻をノートに書写しておりました。開拓の信者のいない教会で、すべての礼拝、聖書研究会、祈祷会に夫婦で参加し続けてくれました。もし、この夫婦がいなかったら、私の牧師としての働きは務まらなかったでしょう。

 不器用な夫を支え、カレーショップの倒産の危機には多額な支援をしてきました。倒産しそうな教会員にも多額な支援をしました。教会の必要に対しても、気前よく、信仰をもって、献金をしてきました。遺産整理に預金通帳を見て、その残額の少なさに驚きました。「天に宝を蓄えなさい。」(マタイ6・20)を実践してきたのです。「あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左手に知られないようにしなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイ6・3.4)。

 献身と節制を重ねてきた夫婦には、老後は厳しいものでした。私は、兄の介護に忙しくしてきましたが、一人で暮らす義姉の世話は怠ってしまったと申し訳なく思います。悔い改めの祈りの中で、そして、みせ姉の歩みを振り返る中で、神は憐れみをもって、天に召し上げてくださったのだと確信を持ちました。

 私にも、義姉が介護を受けるとか、病気で苦しむとか、みじめな思いをすることは、やはり可哀想でしょうがありません。彼女の献身と自己犠牲は、強い自尊心によって支えられたものだと思います。私自身も、恥をかくような人生は送りたくありません。

 パウロは、「神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。」(Ⅱコリント2・14)と宣言して、殉教していきました。みせ姉も、凱旋の行列に加わっていることでしょう。

 「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ」(24.25)。草のように生きてしおれていくか、主のことばに立って、信仰の勇者として永遠に生きるか、私たちは選ばなければなりません。神は、その御国でみせ姉を慰め、ほめているでしょう。

Ⅰペテロ書1章17~25節

  • 1:17 また、人をそれぞれのわざにしたがって公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、この世に寄留している時を、恐れつつ過ごしなさい。
  • 1:18 ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
  • 1:19 傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
  • 1:20 キリストは、世界の基が据えられる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために現れてくださいました。
  • 1:21 あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。
  • 1:22 あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。
  • 1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。
  • 1:24 「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
  • 1:25 しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。

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MYoshi
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