今週のメッセージ「神が上に召してくださる。」 ピリピ3章13~21節
イエス様が天に昇ることを昇天と言い、信者が天に召されることを召天と書きます。つまり、自分の力では昇れないのです。しばしば、富士山に上る道は多くあっても、頂上は一つという宗教上の悟りを教える譬えがありますが、教会では頂上に上っても天国には昇れないということを教えます。
人には罪という重しがあり、それを解かなければ天国には行けません。イエス様は、その重しである罪を解くために自ら十字架に掛かってくださったのです。罪を解くためには、どんなに善行を積んでも為しえません。犯罪人が善行を積んでも、その犯罪が許されないことと同様です。その罪の罰を受けなければならないのです。罰を受ければ、許されます。イエス様は、その罰を私たちの身代わりに受けてくださったのですが、罪を認めない人の身代わりにはなれません。
私が、しばしば言い訳をしてはいけない、と教えるのは、言い訳は正当化であり、罪を認めないことだからです。もっと悪いのは、他人のせいにしたり、罪を隠したりすることです。
クリスチャンでも、そのような傾向はかなりあります。それは個人の性格や行いに干渉し、ミスや反抗を許さない風習・社会慣行にあります。それで、自分の罪や過ちを正当化・理由づけられれば、罰せられないということになってしまうのです。これが指導者や経営者だと、言い訳や弁護をしなくて良いので、ひどい組織になってしまいます。日本の政治や会社によくあるパターンです。つまり、そういう人が天に召されることはないのです。そういう人が、「十字架の敵」(18)であり、「その人たちの最後は滅びです。」(19)。
また、人を赦さない人も、天に召されることはありません。「人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しになりません。」(マタイ6・15)。個性や性格の違い、優劣の差がありますが、それも神から与えられたものです。神様が支配しておられるこの世界で、人間の営みはうまくいったところで大した違いはありません。ところが、人間は依存するのが嫌で、自分の力や富で生きようと願い、努力します。そして、能力のない人や思い通りにならない人を憎むのです。それが人の試金石となり、裁きの対象になるのです。ですから、「心の貧しいもの」、「悲しむ者」、「柔和な者」「迫害される者」は幸いなのです。マタイ(5章)。
「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。 神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。」(伝道者12・13.14)。社会を神は見守り、一人一人を見極めておられます。幸せは人にとっては大事ですが、それによって傲慢になる人もいれば、信仰を軽んじる人もおります。このソロモンは誰よりも知恵があり、力があり、能力のある人でした。そのソロモンが、このように言うのです。確かに、業績や功績を上げるよりも難しいことです。だからこそ、神に従順であるということは、人にとって難しいのです。
「うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」(13.14)。「うしろのもの」とは、パウロの過去の名誉であり、地位であり、学歴であり、自らが誇りに思っていたことです。「忘れ」とは打ち捨てることです。そういうものがあると、純粋に神に従い、この世の栄誉や富を捨てることは難しいものです。
「目標」とは、「神が上に召してくださる」ということであり、それは「賞」であり、褒美なのです。終末の再臨の際には、「主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(Ⅰテサロニケ4・16.17)。
はっきりしていることは、それを信じ待ち望んでいない人が、天に召されることはないということです。信仰というものは、天国を待ち望むか否かで、その実態がわかり、神の目に留まるのです。
みせ姉は、ながらくうつ病で苦しんでおり、体力的にも精神的にも限界に達していたようです。さらに、認知症の症状も進んできて、心配していました。部屋を片付けると、その神への切望と信仰の聖句の書き出しが多くありました。信仰に生き、自尊心の強い姉には、現在の状態は耐えられないものだったでしょう。私には、神が憐れみを持って召し上げたように思われます。
ピリピ3章13~21節
- 3:13 兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、
- 3:14 キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
- 3:15 ですから、大人である人はみな、このように考えましょう。もしも、あなたがたが何か違う考え方をしているなら、そのことも神があなたがたに明らかにしてくださいます。
- 3:16 ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです。
- 3:17 兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
- 3:18 というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
- 3:19 その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。
- 3:20 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
- 3:21 キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。
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