「勇気を出して実行しなさい。」 創世記14章14~23節
「勇気」という言葉は、旧約で18回、新約で5回しか使われていません。旧約では、そのうち6回が神殿建築を始めるための勇気です。「わが神よ。あなたはこのしもべの耳を開き、しもべのために一つの家を建てると告げられました。それゆえ、このしもべは御前で祈る勇気を得たのです。」(Ⅰ歴代17・25)。教会堂を建てるということも、勇気がなければできません。何もしなければ、何も願わなければ、何も祈らなければ、勇気は要らないのです。私はそういう人を多く見ています。
新しい事業を始める時、建物を建てる時、お金の算段から始める人が多いのですが、それだけで悩んでしまう人もいます。ここで、ダビデは「御前で祈る勇気を得た」と言っています。お慈悲を願う祈りではなく、請願と決心の祈りです。
バビロン捕囚から帰還して神殿を再建する時も、捕囚に至った自分たちの罪深さにおののき、「エズラが神の宮の前でひれ伏して、涙ながらに祈り告白しているとき、男や女や子どもの大会衆がイスラエルのうちから彼のところに集まって来た。民は涙を流して激しく泣いた。」(エズラ10・1)。しかし、シェカンヤが、「立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。」(同4)とエズラを励ましたのでした。大きな仕事をする時に必要なのは、勇敢な指導者です。計算高い人でも、頭の良い人でもありません。
その前に、預言者ゼカリヤにも主のことばがありました。神は、人々の偽善を暴いて、「この70年の間、あなたがたが、第5の月と第7の月に断食して嘆いた時、本当にこのわたしのために断食したのか。あなたがたが食べたり飲んだりする時、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。」(ゼカリヤ7・5.6)と責めます。しかし、ゼカリヤには、「あなたがたは国々の間でのろいとなったが、同様に、わたしはあなたがたを救う。あなたがたは祝福となる。恐れるな。勇気を出せ。」(同8・13)と励ますのです。人の目を気にしたり、形式的な信仰を装ったりする信仰者は、勇気を持つことができません。神は、そういう人を相手にしないのです。そして、祝福を得ることもできないのです。神を信じてから、信仰をもって物事に取り組んだことはあるでしょうか。神の救いと大能を信じるとは、信仰をもって社会を歩んでいくことです。
イエス様は、「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネ16・33)と私たちを励まされました。
今日の聖句のアブラハムは、甥のロトがソドムとゴモラの王ら5人の王と戦って勝った4人の王によって略奪された時、直ぐに自分の郎党を率いて彼らを打ち破り、ロトや財産を取り返しました。喜んだ俗悪なソドムの王はアブラハムを讃えてその分捕り物を譲ろうと言うと、そんなものは要らないと答えるのです。
アブラハムは、自分の郎党を常に鍛えていました。「一騎当千」と言われる程に鍛え上げたので、たかが318人で4人の王の軍隊を打ち負かしたのです。アブラハムは、戦乱の世で、戦いに備えていたのです。勇気がなければ、戦いの備えはしません。そして、恐れずに王の軍隊に戦いを挑んだのです。更に、ソドムの王に対する啖呵は見事です。アブラハムは、戦利品の一割を「いと高き神の祭司」に献げる忠実な信仰も示しています。この箇所は私の大好きなところです。
私たちは、勇気と暴挙の違いをしっかりと分別しなければなりません。先々週は忍耐を、先週は敬虔を学びました。最近の人の特徴は、忍耐ができないということです。「彼らは立派な良い心でみことばを聞いて、それをしっかり守り、忍耐して実を結びます。」(ルカ8・15)。そして、敬虔は、神に対する忠誠心であって、「満ち足りる心を伴う敬虔」(Ⅰテモテ6・6)です。
自分の為に勇気を持っても、それは試練によって簡単に萎えてしまいます。私は大言壮語をする信仰者の傲慢さを憐れみます。なぜならそれは劣等感を神の名を借りて打ち消そうとしているように見えるからです。自分の成功や出世、欲の実現を願い、それをあたかも神の栄光のように信じ、発言する人が多いのです。勇気は自己犠牲と難関を覚悟したものです。努力を積み重ねる忍耐と敬虔さがない人間の勇気など、砂上の楼閣です。私は悔い改めを重ねて、神は軽率な人間に決して肩入れしないことを学びました。自分が犠牲になる覚悟をしたのなら、勇気をもって事の実行を進めてください。信仰は、自分の真価を試されながら、神に献げていくものです。
創世記14章14~23節
- 14:14 アブラムは、自分の親類の者が捕虜になったことを聞き、彼の家で生まれて訓練された者三百十八人を引き連れて、ダンまで追跡した。
- 14:15 夜、アブラムとそのしもべたちは分かれて彼らを攻め、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで追跡した。
- 14:16 そして、アブラムはすべての財産を取り戻し、親類のロトとその財産、それに女たちやほかの人々も取り戻した。
- 14:17 アブラムが、ケドルラオメルと彼に味方する王たちを打ち破って戻って来たとき、ソドムの王は、シャベの谷すなわち王の谷まで、彼を迎えに出て来た。
- 14:18 また、サレムの王メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。
- 14:19 彼はアブラムを祝福して言った。「アブラムに祝福あれ。いと高き神、天と地を造られた方より。
- 14:20 いと高き神に誉れあれ。あなたの敵をあなたの手に渡された方に。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。
- 14:21 ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」
- 14:22 アブラムはソドムの王に言った。「私は、いと高き神、天と地を造られた方、【主】に誓う。
- 14:23 糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。
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